いい時間はお守りです

ニーハオ、ニホンコンです。
気持ちのよい5月のある日、ずっとずっと会いたかった友人たちと集合。

中間地点、よりもややこっち寄りな三島駅で合流した瞬間にハッとする。
「メガネ、キャップ、リュック」の三種の神器でこればよかったと。

ともだちのトモダチの友達

友達の友達が友達になった、みたいな3人で集う。

しょっちゅう会える距離でもないし、前会ったの何年前?くらいの久しぶりなのに、
全く久しぶり感ゼロ、言い換えれば新鮮味もへったくれもないのだけど、私の中で
「勝手に圧倒的信頼を寄せる人たち」。

お互いのキャラクターもよく理解しているし、子育ての価値観も頷けるところも多い。
子どもたちの屈託のなさや時に身勝手な様、時に繊細なところも良く分かる。

だから話していても「分かる分かる、誰の気持ちも痛いほどよくわかる!」なんていって
頷きで首がもげそうになる。

かつて友人の1人が住んでいた三島。

駅のすぐ近くに三島大社が鎮座していて、近くには小川が流れ、静かで落ち着いたここ三島は、
友人宅に訪問して以来、私の中で思い出深く「イイ場所リスト」にちゃんと入っていた。

とはいえ久しぶりなので近況報告もかねて「あの変な餅食べるか!」と言って(変な餅呼ばわり
するな)お茶屋さんに急ぐ。

変な餅

リーゼント野郎にしか見えない「変な餅」こと福太郎餅を、失礼承知でほおばりながら、
あれこれ話す。

ここ三島は、静岡独特の柔らかい空気が充満しているところも、私のイイ場所認定の
大きなポイントとなっている。どこかのんきで、どこかゆったりで、首都圏に住まう私が
日々東京で感じるピリッとさや、住んでいる場所で感じるイエーイ感とは全く違う。

その「急がない」感じが、とても心地よいんだ、なんて思いながらゆったりしていたけど、
「私15分しか時間ないんだけどおいしい?」っていきなり声掛けてきたおばちゃんが、
ものの数分でリーゼント餅をかっ食らってお土産まで買って「じゃあね!」って急いで
出ていく場面もあったりして面白かった。

他愛ないことも、他愛あることも

在住経験のある友人の案内で、美味しいご飯屋さんでまたひとしきりお喋り。

他愛もないことから、他愛もあることまで、いろいろ話すけれど、根底にある相手への
信頼というか、友人のことが大好きな私からしたら、吐露する悩みも繰り出す暴言も(笑)
全て正解であって、全て応援でしかなかった。

私は多分、こんなおしゃべりを心から望んでいて、この3人だからこそ創ることができる
この空間と時間に、ただただひたすらに身を任せていたような気がする。

ご飯を食べながらひとしきり語った後は、小川を散歩。

ビーチタウンに住まう私は、あの土地独特のご機嫌フレーバーをひっさげたまま
アロハワンピ―スで登場し、友人たちの大爆笑を大いに買った。

この静かで文化的な三島では、完全にヨソからきた浮かれた観光客。いいんだかどーなんだかの
思い出のひとつ。

小川沿いにも素敵なカフェが立ち並び、オシャレで静かなところで腰を下ろす。

カルガモが気持ちよさそうにすうーっと下っていく。この後もお店の人が親子のカルガモを見かけ、
声を掛けてくれた。

「でも、下流には蛇とかハクビシンとかが居るんです、見かける度に数が減っちゃっていて・・」
なんていう素敵なお店の奥様のお話そのものが、この静かで素敵な空間と相まって絵本の世界に
いるみたいだった。

住んでいる場所も、重ねてきた経験も、家族構成も全く異なる友人たちだけれど、見てきたこと
悩んできたこと考えたことから掴んだ「私はこう思う」という価値観というか、見つけた理
(ことわり)みたいなものが、バックグラウンドこそ違えど、自分にとってもヒントになるものや
「やっぱそう思うよね」という瞬間があって、嬉しくなるのと同時に、私これでいいんだと
ちょっと自信にもなったりする。

満足というフレーバーで美味しさ倍増されたデザートが胃袋に放り込まれ、胸イッパイになる。

濃厚な思い出、という名のお守り

普段なかなか会えない分、会えた時の思い出が割と濃厚に刻まれたりするもので。

きっとこの日は、私が浮かれたワンピースで登場したことや、変な餅をはじめ、胃袋に収まった
ご飯たち。何話したかよりも、その空間で感じた「ああ、このメンバーと話せてよかった」
という確信めいた自信というか信頼をお腹の底に残せたことが、私にとって何よりのご褒美。

次会える時まで持ち続ける、お守りみたいな時間。ああ大満足。


5月20日 ニホンコン

ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。

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