大阪

やしきたかじんです、もとい、ニホンコンです。
そもそも「やしきたかじん」氏が全国区なのかどうかも分かりませんが。

そうそう、先週の多幸感で訪問した大阪バナシでもちょこっと。

実は私、学生時代大阪に住んでいました。ちなみに日曜日の
佐藤の台所」は当時のラクロス仲間です。

トーキョーはいつか住むだろうから、先に大阪いっとこ、くらいの感覚で
大阪で大学生を始めました。大阪、人々がみなオープンで面白くて
楽しかった思い出しかない。

実は20年ぶりの大阪。子育てしてたら20年すぎてた、ってオババの発言。

「お好み焼き食べよう!」と知り合いから教えてもらったお好み焼きやさんへ。
あ、でもしくじった!コートも髪の毛も洋服も、お好みフレーバーに染まった!

(その後、のんちゃんに「お風呂にコート掛けておけば蒸気でフレーバーが飛ぶ」
という裏技を教えてもらった、ミュージシャン時代のタバコ対策だったとか)

ホテルはとても快適でおしゃれなところだった。けど、やたらいかがわしいエリアで、
無愛想なタクシーの運転手さんにも「なんやここ、ホテル街やないかい!」って
突っ込まれました。ええ、そうですけど便利で快適でした。

「おはつてんじんどおり」響きがもう懐かしい。

久々の梅田エリアは、超絶巨大化していて、もう迷子。ワイワイしていて、
やたら工事エリアが多くて、なんだか上海みたいな感じでした。(って、全てを
中国で形容するのは私の癖です)

なんだろう、見るもの全てが大阪に見えてくるのは、私だけなのかな。

最近繁華街を歩いていないからか、これがトレンドなのか、大阪だからなのかが
良く分からないのですが、割と眠気が覚めるラテンな色彩感覚。

ここ大阪、人々は服装もそうですが、気質もストレートでラテンです。

ちなみに私、日本語は標準語と大阪弁話せます。

大学入学直後に言われた、Kちゃんとのキョーレツな会話で大阪弁学習が始まりました。
(以下Kとニホンコン「二」の会話)

K「なあ、ゴーにいればゴーに従えって知ってる?東京人?」
(当時大阪のことばを話さない私は彼女にこう呼ばれていた)

二「知ってるよー」「それが?」

K「ここは大阪やねんから大阪弁を喋りーよ!」

すさまじい郷土愛だなこりゃ、と感動すら覚えながらも、腹括って大阪弁話者になるべく奮闘。

ちなみに最も大変なのは「テキストがない!」こと。全て耳コピで覚えないと
いけない。電車の中、ランチタイムに友人の会話を聞きながら一つずつ獲得していく
地味な作業。

一つ見つけた法則は「形容詞の『く』が抜ける」。「さむない?」「あつない?」
「やすない?」。これを見つけた後、形容詞表現がぐわっと広がりました。

完全に表現が変わるものも、鶏肉は「かしわ」、ふざけるは「ちょける」、捨てるは
「ほかす・ほる」、これらは年齢やエリアや個人によっても表現方法が微妙に変わって
くる、とてもラフな言語。

ちなみに「~してはる」は大阪では尊敬語だけど、京都では丁寧語。都文化の名残なのか。
ところ変わればコトバも変わる、は日本語でも存在するのです。

家族が多いうち用と、のんちゃんのお持たせ用で小さいのを。

お土産は蓬莱の豚まん一択。これは日本で一番おいしい豚まんだと思ってます。

新大阪、東京駅レベルで巨大。最終日の昼は学生時代の友人と久々再開。

新大阪直結のホテルロビーで、なんていうラフな待ち合わせ。もちろん迷子。
困ったらソッコーここに駆け込みます。

懐かしく、聞き覚えのある地名ばかりに、懐かしくもきゅんと来る。

学生時代だったのは、もう25年以上前。思えば遠くに来たもんだ、という思いと
何者でもなかった自分、好奇心とエネルギーで突き進むも、同時に焦燥感も感じながら
過ごしていた日々を思い出す。

それでも25年も日々の何かは己の血肉となり、筋肉となり、自分という入れ物を
当時よりもちょっとだけ力強くしてくれたりしたのかな、なんて思ったり。

ミドルエイジ真っただ中な現在。ここからは、気持ちと体を丁寧に整えながら
やりたいことやって、ガハハと笑って、時にぐびぐび飲んで、そしてよく学んで
よく遊んで働いて眠る。こんな日々でありたいな、と思ったり。

大阪、ハタチの頃の自分にも会えたようで、なかなかいい経験でした。

3月14日 ニホンコン

ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。

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