お母さんではあるけれど
ニーハオ、ニホンコンです。
今年は外に飛び出させていただく所存です。
たぶん、忘れないよう、誓うように、至るところで言ってます。
先日、こいけはなえさんの記事でも出てきてた。「今年からもう少し外に
出させてもらおうかなと思って」。これです。
「出させてもらう」って言い方、相当気を使ってる。誰に?
そう、「おかあさん」という立場に。間違いない。
推しは推せる時に推せ
時はさかのぼり、NHK紅白歌合戦を見ていた中での会話。
「わー、藤井風くんのライブとか行ってみたいなあー」とつぶやいた私。
でも平日は夜ご飯作らなきゃだしお迎えもあるしバスケの付き添いはあるので
どーせ行けないけど行ってみたいな程度のつぶやきだった。
が、1号が上の名言を放ってきた。
「え?行ってこればいいじゃん、『推しは推せる時に推せ』だよ!」と。
何その名言!どうやら本人も他所から借りた言葉らしいのだけど、
「ジャニーズもいつまでも見れると思ったら解散したり辞めちゃったり
するんだよ、見れるときに見とかなきゃ!」と。
他愛もないエピソードなのだけど、私の中でパチンと何かがはじけた気がしました。
「あ、行っていいんだ」。
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お母さんでなければならない
私は2006年に1号を出産して以来、ずーっとお母さんです。少し大きくなった
と思ったら2号が、そして3号がやってきたので、かなり長い間「ちいさい子が
いる生活」をしてきました。それは小学生がいるという今も現在進行形です。
仕事も諦めたくなかったので、毎回さっさと復帰していましたが、軸足は
お母さん。
ワーキングマザーという単語がありますが、保育園時代は完全に
マザーがワークの草鞋をつま先で履いている、そんな感じでした。
この長い長いお母さん時間は、家という場所が船ならば、ゆっくりと
時間をかけて「いかり」を下ろすような作業でした。
3人の送り迎えし、3人分の授業参観、ご飯を作りながら音読を聞き、
愚痴を聞きながら洗い物をし、苛立ちのファイヤーボールを時にかわし
時に正面から打ち返し、めそめそする人をなだめ、やれお風呂入りなよ、
やれスマホ長いよと強めの口調で諭したりを順繰りにやっている。
もちろんそれは、私の生活を3倍、いや3乗で彩り、いや彩りなんていう美しい
響きを通り越してどどめ色になってバリエーション豊富な毎日となっている。
ただ、その中で育ったお母さんは、知らず知らずのうちに「そうするもの、
そうあるべきもの」と、自分と家庭を強く結びつけていました。
だから、1号の「行ってきなよ」には拍子抜け。
「ああ、私が居なきゃ!と思っていたのは、自分だけだったのか」と。
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その「いつ」はいつ来るの?
お正月に3年ぶりの帰省をしたときに、姉が「3年損した気分!」と言っていた。
そうです、3年間いろんなことが止まったせいで、気づいたら私も姉も
まるで浦島太郎の玉手箱を開けられて時計の針が勝手に進んだかの
ように3歳年をとっていた。
その時に浮かんだのは、「よく言われる『子どもが大きくなったら』は
いつなんだろう。そして、その時私はいくつなんだろう」と。
よく自分でもいう「今しかない子どもたちとの時間」。ここから
まだ少し残っている子どもタイムをたっぷり過ごしたとしても、
私が幸せなことには変わりなく、後悔もないと思います。
ただ、気力体力はいつまで続くか分からない。今やりたいこと、
見たいもの、触れたいものは、まず諦めるのではなく、「どうやったら
できるかな」と考えてもいいような。
お母さんになってから16年。もうちょっと、外に飛び出しても
いいんじゃないかと、急に思い始めました。
2023年はいろんなところに行く予定。沢山予定はないけど
そうやって楽しく言ってたら、きっとそうなるんだと思います。
大きな目標は中国。今のリアルな中国をこの目で見てきたいなと。
そんなことを考えています。
2月21日 ニホンコン