YES

ニーハオ、ニホンコンです。

70年代生まれですが、英語はビートルズで学習しました。
そして、今の言葉で言うならば「推し」は間違いなくジョン。

中学高校の英語はビートルズを聞く=好きなことで勉強ができるなんてこれ幸い。
今はなき貸しCD屋さんで借りた歌詞カードをコピー。それを濡れないように
ビニール袋に入れ、壁に貼り付けてお風呂で日本語と英語を見比べて歌いながら
英語の勉強をしていました。

In My Lifeの歌詞、some have gone and some remainで過去分詞を覚えたり、
compare withの構文はthere is no one compares with you で十分理解できたな。

時は経て、去年の暮れに六本木でJohn&Yoko展に行ったのを思い出し、
田舎で情報も少なかった高校生時代に寄せ集めた知識と記憶の
答え合わせができた気がして、感動。

また、「どーぞ好きなだけ写真撮ってください」という寛大な展示だったので、
遠慮なく好きなだけ撮り、去年の展示だろうが結成ン十年経とうが色褪せない
ビートルズ、というかジョンの写真を貼り付けます。

あれだけ人気者だったビートルズでしたが、何故か実家にはビートルズの「ビ」の字も転がっておらず。
レコードもなかったので存在時代を知る事ができませんでした。

「何でファンじゃなかったのよ!何で教えてくんなかったのよー!」と母に訴えたのを覚えています。
ちなみに自宅にあった数枚のレコードは全て「中条きよし」でした。えーん!

これこれ!ヨーコが結婚式の時に本物が目の前に!!映像や写真でしか見たことがなかった実物を
目の前にしたときの感動たるや、もう、ああ、来てよかった。

ちなみに、己の結婚式の時にこのヨーコスタイルにしたい!と一瞬、ほんと一瞬考えたのですが、
これに合わせるの白のハイソックスね!はい、100パーセント無理。

もはや登場した瞬間に笑われるのが脳内で確定したので断念。

来世、黒いストレートが似合うオリエンタルビューティーに生まれ変わったらやろうかな。

ギター、お洋服など、ここまで現物を集めてくれた関係者グッジョブ!!と拍手を送りたくなる。

同時に、この大がかりな展示を行う裏側って、ほんっと大変だったんだろうな、とも予想する。

私は20代の頃音楽業界におりましたが、みんながニコニコ楽しむようなイベントを作り上げて
行くまでに、山ほどの交渉と調整と、怒号と謝罪の数々があったのをなんとなく記憶しています。
だからこそ、この努力の結晶である展示に、惜しみない拍手を送りたい。

こういうの見ると「このフォント、来年年の我が家しんぶんに使えるかも」と思ってる自分がいます。
ちなみに書くの私じゃなくてオットさんなのですが(笑)

今はもうないのですが、埼玉の大宮にジョンレノンミュージアムがあって、私も訪れたことがあります。
この展示でももちろんなのですが、ジョンの世界はもう愛と平和に溢れすぎていて、そこに居るだけで
心地よく、何度も涙がでそうになりました。

なんだろう、うまく言えないのですが、世界が全てこれだったら人は争わないし、いがみ合わないし、
隣の人を大切にするだろうと思っています。

ジョンの走り書きメモであるImagineの歌詞。

彼が今生きていたら、この世界をどう見るのかな、何て言葉を発信するんだろうなと思います。
そして、同じようにあの人が今生きてたらと思うのは、やっぱりマイケルジャクソンです。

YES!そのとーり!

きっと12月になるとソワソワすること間違いないので慌ただしくなる前に、オノ・ヨーコの
「グレープフルーツ」をもう一度読みたいし、Imagineも観たいし、クリスマスソングは
マライア・キャリーもいいけど、ジョンの「Happy Xmas (War Is Over)」を今から流そうかな。

もう一度、あの場に居た時のLOVE &PEACEなバイブスを思い出すべく、今日はジョン話でした。

11月23日 ニホンコン

追記:ジョン&ヨーコとの出会いである、天井に書かれたYes。もれなく私も真似して
引っ越す先々の賃貸アパートの天井に小さく書いております。Yes。

大家さんごめんなさいですが、誰かがそのYesを見て当時のジョンみたいに救われたら
世界は平和になるので許して♡

ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。