能登半島を走ってきた vol.2
能登半島を走ってきた話の続きです。初日は夜もほとんど進み続けて、夜明けに半島の最奥に位置する珠洲市に到着。スタートから140〜150kmくらいで、残りはまだ200kmあります。
折り返しにも至っていないから、さほど疲れていないのだろうと思われる向きもあるでしょう。しかし、この時点ですでに疲れています。脚は重くなり、頭がぼんやりしています。

そのまま、疲労していくと、翌日にはすごいことになるのかというと、そうではなく、波はあるものの、疲労度は一定に保たれていることが多いです。もちろん蓄積していくので、徐々に動きは悪くなるのですが、初日に感じた疲れが倍加していくわけではありません。
なんでしょう、慣れていくのかもしれません。人体って不思議です。
かの文豪ドストエフスキーは言いました「人間は何事にも慣れる存在だ」と。走り続けていると文豪と同じ境地にたどり着けるのかもしれません。ランニング、すごい。
さて、現地に戻りましょう。
奥能登でも倒壊したままの家屋は減ってきたとはいえ、まだ相当数が残されています。減っているのか、減っていないのか、はっきりしないなあと思われるかもしれませんが、そうなんです。地震直後に比べれば、ずいぶんと解体が進みましたが、だからと言って復興していますなどとは言えない状態です。
もやもやとしますが、一歩ずつ着実に進んでいるのは間違いありません。ランニングの歩みと同じです。こつこつと前進あるのみです。

町並みの変化とは別に変わり果ててしまったものも。石川県民の98%が知っている見附島です。軍艦島という別名の通り、かつては堂々たるシルエットでしたが、地震で島自体が崩落し、痩せ細ってしまいました。もはや軍艦の威容はなく、非武装船です。


ここまでのルートは能登半島の東側で、富山湾に面した「内浦」と呼ばれる穏やかなサイド。それほど風の影響を受けることなく走れる区間でした。この先は「外浦」、日本海に接した北側の海岸線です。
タイミング悪く、強風が吹き荒れる1日で、西に進み続けるため、ずっと逆風。驚くほどに進みません。泣きそうになりますが、涙は風で後方に飛ばされ、痕跡すら残らないことでしょう。

鯉のぼりフェスに遭遇。去年は地震の影響で中止されていたのが、形を変えて復活。元気をもらえます。風に乗って鯉たちが空を元気に泳いでいて、強風も悪くないものです。この瞬間は。

広大な能登半島ですが、内陸はほとんどが里山で、市街地や道路網は沿岸部に集中しています。海と山の狭間を道路が通っていて、ここにも地震、豪雨の爪痕が深く刻まれています。
大規模な土砂崩れにより、道が寸断されたまま。それを迂回した道を新設。この迂回路が驚きです。海の上につくられているのですから。正確には、地震により隆起した場所です。元海底。


走り続けて、能登を代表する風景を目にすることができました。白米千枚田です。ここも、棚田が崩壊したのですが、多くの人が修繕に携わったことで、水をたたえていました。もともと景勝地ですが、この1年の歩みが加わり、さらにすばらしい景色に。強風とアップダウンの連続にまいっていましたが、ずいぶん励まされました。

そんなこんなで2日目は輪島市内に入り、終わっていきます。あとは金沢に戻るだけ。帰宅ランです。
つづく。