香港から見たニッポン
ニーハオ、ニホンコンです。
25年ぶりに再会した香港人友人から見たニッポンと、よもやま話でも。
1997年、中国の新疆ウイグル自治区に旅をしたことがあり。
北京から電車で4日、そこからバスに揺られて赴いた天国みたいな場所
「天池」(英語名もこれまたHeaven Lake)。
そこで出会った香港人男子3人組は、私が香港で働いているときも引っ越しを
手伝ってもらったり、歯医者に付き添ってもらったりなど、何かと現地の
ボディーガードの如く頼っていた(というか使っていたというか、笑)
今でも細々と交流があり。その一人、阿毛(アーマオ)が、ファミリーで
日本にやってくるというので、江の島を案内。
What’s ジャパニーズフード
そりゃあ魚、天ぷらでしょう。海の幸こそオラが村の名物だべと思って
連れて行った和食屋さん。「何食べたい?」と聞くと子どもたちが座った瞬間に
「RAMEN!」一択のコール。
ハイ、一旦全員退散しよーー!お店の人にスイマセンと言ってラーメン屋に向かう。
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私にとってはたまーに行くジャンクフードみたいなラーメンは、今やジャパニーズフードの
代表格だってことをすっかり忘れていた。
ごちそうする気満々だったのに、結果安上がりになっちゃってすんまへん状態。
副業なんてレベルじゃない、5足のワラジ
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今何の仕事してるの?話。香港人のキャリアの積み方は「転職を重ねて箔をつける」方式。
1つの会社でスキルや知識を身に着けたら、それを武器に高く自分を売る。それは
ドラクエで武器を沢山獲得してどんどん強くなっていく過程に似ているような。
「あれ?日本の企業で働いてなかったっけ?」という私の問いに、鼻で笑うかの如く
「ああ、あんなのずっと前、2年間ね」と。
「今は専門のエンジニアの仕事と、弁護士でしょ・・・」ちょちょちょ、チョイ待て!
それ両立できるんかい?!だけどまだ続くので聞く。
「で、夜はオンラインセミナーの講師やって、あとはヨーロッパの企業にひとつ所属
していて、あと自分の会社持ってる、でもそっちは時間がなくて動かせてなくて」そりゃそーだ!。
日本で副業解禁が少し前より叫ばれているけど、副業を「本業ともうひとつ」と認識してた
私バカなの?と思うほど、その5足ワラジというか二刀流ならぬ五刀流にアッパレだった。
旦那さんて、島耕作?
大人も子どもも日本のアニメや漫画が大好き。子どもたちからはONE PIECEの映画を
見に行ったヨ!SPY FAMILY大好きだよ、そうだ、「推しの子」知ってる?などと
日本人のオバチャン、タジタジになるアニメ話がじゃんじゃん出る。
阿毛からも「旦那さんて、やっぱ島耕作みたいな人なの?」と質問が。
「いや、あんないやらしくない!」と思った私のほうがエロいのか?あれはサラリーマン
サクセスストーリーと捉えるものなのか?など答えが出ないまま適当に返事。
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一緒に居た長男坊からは「鎌倉高校に行きたい」リクエストが。てなわけで、私も中華圏の
観光客よろしく、人生初の踏切に行ってきました。
香港のスラムダンク人気はアラフォーアラフィフ世代。お父さん阿毛は「この踏切があの!!」と
目を丸くして喜んでいたっけ。
2000年と変わらない!
2000年に1人で東京に来たことがあるという阿毛。当時はお金がなくて&物価が高いと感じて
電車に乗らず、全て歩いて回ったんだとか。
そんな阿毛が「自販機の値段が当時と変わらない!」と驚いていた。厳密に言うと地味に
値上がりはしている、コーラも180円になった。けれど、香港のこの20年の物価上昇から
考えたら、数十円の値上がりは無いに等しいのかもしれない。
「香港?今高っいよー。あんたが好きだった茶餐廳(香港式ファミレス)なんて高くて
マズイからねー!」なんて笑われた。
今は当時よりもお金持ってるもんね、というと「そりゃあ、転職してるもん。同じところに
居たら当然変わらない、収入UPするために転職してんだから」と。
この中華圏の人々のお金を稼ぐということへのガッツと執着、毎回聞くたびに熱量が凄くて置いていかれる。
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香港は今
「今の香港、どうよ?」とストレートに聞いてみた。
「一見同じなんだよね、でも中身は全然違うんだよ」と。
実際、お父さん阿毛世代はイギリス統治時代に学校教育を受けているので英語が主流。
そして北京語と呼ばれる中国の標準語は自力で覚えるという後付けやっつけ大作戦。
逆に3人の子どもたちは中国本土の教育システムが入り込んできているからなのか、
きちんと北京語の授業もあり、小学生でもたどたどしいながらも北京語が話せる。
(なので北京語を留学で身に着けた日本人ニホンコンとも、なんとか会話が成立した)
中学生のお兄ちゃんなんてペラペラだったな。私が
「私広東語喋れるんだよ~『(広東語で)お兄さん、イ・ケ・メ・ン♡』」と、寒いギャグを
かましても、流暢な北京語で「意味は分かるけど、音の高低が変だよ」とあっさり斬られた。
アイタタタ・・
そんな彼らが送る日常と、非日常で見える日本はどんなだったんだろう。
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「お父さんー浅草じゃなくてこのエリアのホテルに泊まりたいよー」と言っていた
「Beach、Ramen、Mt.Fuji、Kamakura、どれもすんごい良い思い出だった!」と、後日
感想を送ってくれた。ああ、風に吹かれてリフレッシュしてくれたみたいで良かった。
25年という時間は
一瞬。というくらいあっという間だった。
お互い学生だった時代から25年、その間、お互いを取り巻く国や地域の変遷は抗いようもない政策もあれば、失われた20年と言われるなど、決していい意味でもないものも含め大きく変わったなと。
変わらなかったのは細く長く友達でいれたこと。そして今回再会ができたのは何よりの思い出。
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そうだ、最初に会った新疆ウイグル自治区までの電車4日間。ものすごいトイレだったハナシがあるので、また今度。
2月27日 ニホンコン