確かにあの時そこにいた

ニーハオ、二ホンコンです。

18歳で故郷を離れてから、12回引っ越しをしました。皆さん、自分がかつて
住んでいたところって、その後訪れたことってありますか?

私は半分が中華圏なのですが、旅行などで訪問すると、まず「元住んでいた家チェック」
をしたりします。

そこに行くだけで想い出のアルバムをぐわっと開くような気分になるのが好きで。
タイムマシンこそないけれど、なんだか時代がぎゅいんとワープする不思議な感覚になります。

先日、韓国語&中国語のレッスンで訪れた高円寺、はなえさんと分かれた後、
いい機会なので10回目の引っ越し先だった、高円寺のアパートに行ってみることに。

15年前にタイムスリップ

この商店街は、11回目の引っ越し後の子育て中、よく歩きました

当時の家は、住所は高円寺、そしてアパート名には「昭和」がついていて、年賀状を受け取った
友人からは「神田川の唄みたい!」と驚かれました。

赤い手ぬぐいこそマフラーにしなかったけれど、毎日夕暮れ時になると誰かが大音量で流す
ゴダイゴの「ガンダーラ」が聞こえてくるなど、昭和の落とし物みたいな所でした。

高円寺オブ高円寺

駅からゆっくり歩くと、お寺、「高円寺」があります。いつも「高円寺オブ高円寺」と呼んで
いて、不定期に空いていたりするので、時折この中を通って帰ることもありました。

ここまでくると、さすがに喧噪からは離れ、静かな住宅地になります。

かつての自宅まで半分くらいの距離。ここまでくると、ぎゅっと胸が苦しい、
いや、正確には「狂おしく」なる。

当時、この住宅街に出ると「ああ、あと半分」とホッとしていた、当時の心境が
よみがえってくる。

若気の至り

小さい公園なのに毎回座って誰かがお喋りしてたりと、何かと活用

ここはかつて、お酒で失敗をした公園。

飲み会の帰り、自宅まであとわずかだというのにたどり着けず、公園前の柵にもたれ、
道端に座ったらそのまま寝てしまったことが。見知らぬ青年から声を掛けられて
起きましたが、「酒は飲んでも飲まれるな、っつーか外で寝るな」と、当時胸に刻んだ場所。

まだ残ってました

ありました!このちょい古、いやだいぶレトロ、いや昭和なアパート。

当時、この界隈はホントに古ーいアパートが立ち並んでいて、数件先の心底
ボロいアパートはTVの「ビンボーさんいらっしゃい」的番組で取材が入ったほど。

なので、当時この界隈でこれはキレイな部類。これでかよ!(笑)

写真の木は最初、真横に伸びていて、階段を上るにもよいしょっと、と頭を低くさげないと
通れないくらいの低さ。

お掃除に来ている大家さんに言ったらある日こんな風に、「ぐいっと高く上げる作戦」が
なされていてビビった。え?そっち?切るんじゃないんだ!と。

あれから15年。周囲は様変わりし、ビンボーさんいらっしゃいのアパートも、小ぎれい
一軒家に建て変わっていた。

ああ、1ミリも変わらず、そこに在り続けていたアパート、グッジョブ。
残っててよかった!

地下鉄の駅まで歩きます

ここの主人のことを「ペンさん」とこっそり呼んでました

自宅は中央線の駅2つと、地下鉄の駅も使える立地、逆に言えば
「どこからも遠い」のですが、そのユルユル歩く感じが好きでした。

台湾人の女の子たちが営む、大好きなアジア料理屋さんも健在。ここ、面白いお店です。

雨の日は天井の薄壁が突然落ちてきたりと、なかなかにアジア。その時は「お詫びです」
大皿料理が出されましたが、その後、何かにつけて「〇〇なのでサービスです」と
どのテーブルも1~2皿何かが来るという気前のいいお店だった。

ここ、極めつけは、レジ横にある3つのサイコロを全員に振らせてくれ、ゾロ目だったら
お会計タダ!さすがに出たことがなかったけど、今でもやってるかな?

帰ります

潮風の吹く今の家に帰ってきました。もうあの家に住むことはないけれど、当時、
その時の自分に瞬間的に立ち戻り、ドアを開けたら同じ間取りで出迎えてくれそうな
くらい、ありありと当時の情景が目に浮かびました。

今は帰る場所が別にあり、そこに帰っていく自分が、2つの人生を同時に生きている
気分になり(パラレルワールド映画の観すぎ)、不思議な感覚のまま帰宅。

それでも、あの時私が確かにそこに居て、色んな取捨選択をした結果、違う場所で
生活をしていることも面白く。

人生はご縁のような縦糸と選択という横糸の織りなす劇場なのかもしれないと
思いつつ、昭和の歌姫、中島みゆきで締めてみました、ファーイト!

6月7日 ニホンコン

ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。

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