TOKYO

たまたま持って帰ってきた3号の漢字テスト

ニーハオ、ニホンコンです。
最近仕事で都内に出ることがまた増えてきたので、今日はトーキョーについて。

10年以上、トーキョーに住んでいました。

キッカケは完全に田舎もんアルアル、完全に「オラ東京さ行くだ!」です。

東京在住のカナダ人、Jordan Cheng氏から届いた絵葉書

その昔、わたしが若い頃はネットなんて何もなかった時代。non-noやMcSisterを読んでは、
はあ、東京ったら何て素敵なモノに溢れてるんだろう、と思っておりました。

ある店に電話して、「私の住んでる町、〇〇にはコレがありますか?」って聞いたことも。
答えはモチロン「ノー」だ。

実際に住んでみたら

東京は、進化し続ける生き物みたいなところ、といえばよいか。

とにかく、進化する。特に鉄道。

当時、仕事で荻窪から六本木まで通っていたのだけど、あれよあれよという間に
南北線が開通し、そうこうしている間に大江戸線が開通。1時間近くかかっていた
通勤時間が、最後には35分まで短縮され、朝のゆっくり度が大幅改善されました。

あれからン十年、もうこれ以上ないだろうと思った地下鉄は副都心線なんてものも
できたし、渋谷駅は見違えたし、そして池袋はリアル中華街になっていた(笑)

先日、山手線の新駅、高輪ゲートウェイで降りましたが、未来に降り立ったような錯覚に。
キョロキョロしないようにキョロキョロしてました。

しかもコンビ二無人だし!おっかないので入らなかったのですが、今や中国は
アタリマエのように無人コンビニがある模様。ワタシ、浦島太郎アルネ。

ナイものはナイ!

田舎モンにとっては、これは衝撃の事実でした。本当にナイものはナイ!と断言できるほど、
何でもある。

食で言うならば

台湾小籠包の鼎泰豊もある、香港点心の添好運もある、香港スイーツの糖朝もある。
天津肉まんの老舗、狗不理も知らぬ間に出店していた!って、中華グルメばかりでスンマセン。

別の国で言うと、最近アメリカに住む友人が「ジョージア料理を食べたよ」とメールを
くれました。「何じゃそれ?」と思って調べたら、トーキョーで食べられるお店があるんだとか。

たぶん、食べ物に限らず、どんな国の小物だろうと、探せば絶対見つかる筈。

モグラです

とにかく駅がでかいこと。駅だけで都市が成立するんじゃないかと思われるほど。

よく使っていたターミナル駅、新宿は、一旦出口を間違えると、端から端までこれでもか!
という程歩かねばならず。モグラのように地下を縫うように歩きながら目的地を目指すのです。

今やもはや目ェつぶっても行きたい場所に最短ルートで出られる自信アリ。

逆に、今一番近くなった横浜駅の地下道は全く分からず、毎回駅員さんに聞く始末。

横浜駅は何年もどっかしらが工事中。地元の人に嘆いたら「あそこはサグラダファミリアですから」
と言われて終わった。ああ、あと250年くらいかかるのね。。

長く中国語研修を担当している新宿の老舗ホテル、1度だけ客室で授業をしたときの眺め

色んな人と夜から朝まで

デザイナーもいる、コピーライターもいる、カメラマンもいる、カタカナ職業で思いつくものは
全て存在していたし、今ではLGBT(LGBTQ?)と呼ばれるけれど、オカマちゃんの友人もいたし、
もう何でもありでした。

R&Bはリズムアンドブルースではなく「離婚&ベンツだ」と言い張ってたおじさんもいた(笑)

「こうあらねばならぬ」みたいなスタンダードなんて皆無で、上品も下品も乙女もやさぐれも
何でもアリ。それゆえに、自分は何者なのかを全速力で追いかけるような日々。

刺激的ではありながら、己とは何ぞやと慌て、ヒリヒリと焦燥感に溢れた毎日でした。

よかった、若い時に住んでいたので、有り余る体力とエネルギーを朝から晩まで、というか
晩から朝まで放出させていた気がします。

去年の4月、ガラガラの東京駅

週明けの寒い日、コーヒーを飲みながらくるりの「東京」を聴いていたら、ぐわわわわと
こみ上げる思いが。当時トーキョーで一生懸命だった自分をすんごい思い出しました。

ずっと住むかと思っていた場所ですが、何のご縁か、ふわっと風が吹いて海のほうまで
タンポポの綿毛の如く飛んでいきました。

それでも、あの時出会った人や場所、飲んだお酒と交わした会話は私にとって宝物。

やっぱり住んでよかったな。そして、ライフステージが落ち着いたら銀座で歌舞伎見て
お寿司食べて美味しい和菓子買って、と落ち着いて遊びたいものです。

10月26日 ニホンコン

ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。

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