サーフィンは瞑想だ

ニーハオ、ニホンコンです。

クタクタになるまで駆け回ってる、子たちら

よく瞑想しに、いやサーフィンをしに海に行っています。
おかげで早くも日焼けで皮がむけてきてます。

東京オリンピック、盛り上がっているのは、やっぱり自分たちが経験したことがある
競技なのではないかと。

我が家は1号卓球、2号バスケ、親サーフィン、なのでこれをメインに応援し、
ちいさい3号はその全てに巻き込まれ、途中で寝る、という図です。

時間のないときは、足だけ浸かりに行きます

この時期は暑いので、家でエアコンの効いた部屋でゴロゴロするよりも、「海に行って
水に浸かっちまったほうがいいや!」と思う人も多いのか、必ず顔見知りに会います。

午前中に会って、午後また会うという。「2ラウンド目ですか?」と聞くと
「いや、3ラウンド目です」と返ってくる。ド早朝・午前・午後に海に行き、
ご飯だけ食べに家に帰っている模様。

私が会話したのはヒトではなく二足歩行のウミガメなんじゃなかろうかと思うくらい。

私の場合、なんか疲れてるなー、や、元気が出ない時も海に行くとすっかり
リセットされて「あれ?ワタシそんなこと言ってたっけ?」くらいに自分の
不調を忘れています。

おそらく、メディテーション(瞑想)してるんだと思われます。

海はいい。

過去のことも、未来のことも、憂うことも、悲しいことも、そして楽しいことも
陸で起こっていることは一旦置いておける。

置いておくことで、「今この瞬間に来る波」だけに集中することができる。

というか、これから来る波と、その次に来る波を見ておかないと、私みたいな
ヨレヨレの初心者はキケンすぎるため。どの波ならなんとか乗れて、どの波が
自分のレベル以上なのか、よくよく見ないといけない。

しかも、そこそこ人がいるから、うまい人の邪魔しないよう、自分くらいしか
乗らないであろう小さき波を前方と、そして左右をキョロキョロしながら
見て「乗んないね、誰も乗んないね、ワタシ、イキマーース!」みたいに
行かねばならない。

だから置いておかざるを得ないワケよ。上記の過去も未来も煩悩も。

たぶん、その集中してる時間が、ああだこうだと頭で思考するのを
止めてるような気がするのです。

誰しも日常生活の中で無心になる瞬間があると思います。

それはキャベツを千切りにするとか

それはランニングをするとか

それはシンクを磨くとか。

きっと誰しもが持つその日常の無心の一つが、私の中での海での時間です。

無心になるのは難しい。ついつい、誰々に連絡しなきゃとか、ルイボスティー買い足さなきゃとか、
何時にお迎えだとか、そうだ2号に電話があったから伝えなきゃとか車の保険どうしようとか。

だからちょっとの時間だけでも、そこに空白を作ることで、自分の脳みそをフリーダムにさせて
おける気がします。これが余るヒマとかいて、「余暇」というんじゃなかろうか。

ウィキペディアより抜粋するならば、「余暇とは、人が自分自身を取り戻し、また活発に仕事や
家庭での雑事に立ち向かうための活力を養うためのものである」と。

んだんだ!立ち向かうために波に立ち向かうのでござる!と謎のファイトが湧いてくる。

ゴムボート、ボディーボード、サーフボード・・最近は足ひれとハンドプレーンも加わってきた!

お楽しみは海時間のみならず、寝る瞬間にも訪れます。

海に行った日は必ず、残像が目に浮かぶ。「おやすみー」といって目をつぶると、その日海で見た
「寄せてくる波たち」が浮かび、体もフンワフンワしてきます。

この瞬間が大好きで、「おお!コレコレ!」と思いながら、幸せなきもちで眠りにつくのです。

きっと海の記憶は、二層の香り玉みたいになっていて、海その瞬間で弾ける香りと、もうひとつ
その日の終わりにパチンと同じ匂いを弾けさせ「わわわ、まだこれがあった!」と、再び
楽しめるシステムになっていると思われ。

もうすぐお盆休み。毎日海の上で瞑想をし、夜には残像と共に心地よい眠りについてます。

と、瞑想と快適な睡眠でまとめましたが、現実はもっとザラザラ。

完全に落としたと全員が思い込んで落とし切れてない砂で床がザラザラします。

瞑想とザラザラのあいだを行ったり来たりしながら、お盆休みに向かっていくのです。

8月3日 ニホンコン

予告:なので、来週のニホンコンはお休みします。

ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。

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