お琴の家です
ニーハオ、ニホンコンです。
「むかしむかしあるところに」レベルの昔バナシをしますと、
ワタシ、「お琴の家で生まれました」。
父親がお琴の先生です。お師匠さん、みたいな。
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これを言うとだいたい「えー、お父さん家で着物着てるんですか?」と
聞かれます。
いえ、洋服です。
二言目には「えー、正座してるんですか?」と。
いえ、イスに座って弾いています。
これがスタンダードで育った私にとって、「おとうさん」てのはどこも、
「年に数回、袴を着て舞台でスポットライトを浴びてる人」だと、本気で
思ってました。違うか、アハハ。
で、最後には決まってコレを聞かれます。
「えー?じゃあお琴弾けるんですか?」と。
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答えは
「イエスでもあり、ノーでもあり」。
イエスというのは、18歳までお琴を習っていたから。一応。
が、実家の誰しもが口を揃えて「へたくそだった」という認識でおり。
そんな筈はなかったという自分の印象は、過剰に美化された記憶なのか、
はてまた彼らの誤った認識なのか、もはや不明。
ノーというのは、習っていた時期より離れている時間のほうが長いから。
よって回答は
「いやー、やってたんですけど、習ってた、に入れちゃいけない部類」と。
でも、イエスでもノーでもない回答をするなら
「お稽古もお琴も好きだったな」と。
継ぐ姉と、じゃないほうの妹
小さい頃は、「なんかお姉ちゃんが一生懸命やってるな」くらいに思っていた
けど、圧倒的に上手だった姉と比べて、チンタラ続けている自分は、
跡継ぎの対象ではないんだなーというのは、割と早いうちに気づいておりました。
それでもここにいると、どうしても「お琴のおうちの継がないほう」
という芸人でいうところの「じゃないほう芸人」になる訳で。
「あのお家の、継ぐ『じゃないほう』の娘」って周囲から思われるのも
本意じゃないなーと思い、だったら誰も自分のことを知らない場所へ
行こうじゃないか!と、結果、海の向こうまで行っちゃった、という。
もはや自分のことを知らないというより、「コトバもわからない」場所
まで行ってしまいました。アハハ再び。
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これを書こうと思ったのは
最近、家の外にある看板が新しくなり、新看板に姉の名前が載ったヨ、という
知らせを受けたことにあり。
というか、今まで無かったことに驚きもしたけれど。
ただタイミングがなかった、なのか、「一人前」っていう印なのか。
いずれにしても、おめでたいことであります。
当時のじぶん
おめでとうと思うと同時に、小さい頃から親戚一同の注目を浴びていた姉が
羨ましく、「ちぇ、どーせわたしは日陰ですし」とスネていた自分を思い出し。
姉には姉のプレッシャーや葛藤があったとは思いますが、当時の自分はそこまで
くみ取れず、ただゴマメ扱いをされているような気分でおりました。
そーそー、ちっぽけなことなんだけど、当時の自分には世界のすべてが家
だったし、真剣にいじけてたよなーと。
そんなことがぶわっと蘇っては、小さかったワタシ、そうだったよねー、
なんかさみしい思いをしてたよねー、と回想してました。
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甲斐あって、先生から「ムムッ、アナタ初心者じゃないワネ」と言われたそうな)
現在は
何年かに1度、彼女が舞台でお琴を弾いている姿を見ます。
その姿に、この山の険しさと、それを乗り越える練習量と精神力とたるや
いかほどのものか、と軽く鳥肌が立ちます。
スポットライト浴びて一点の曇りもない演奏で観客がため息つく、とか
無理無理無理!やっぱ私、根っからの「じゃないほう」です。
演奏会で、私はどうしているか、というと。
同じくお琴を習っていたけど、ドロップアウトして久しい「母親」とふたり、
楽しく演奏会場で受け付けをしております。
母はあっさりこう言います。
「才能のある人が舞台で、ナイ人が受付だからね!アハハ」
グサーーーッツ、でもホントなのだ。
凡人は、凡人なりの、凡人らしい人生の紡ぎ方をするとします。
2月2日 ニホンコン
追記:今年の演奏会は延期になってしまったらしいけど、機会があれば
一度聞いてくださいまし。