お屠蘇の風味も変化するもので

最近の散歩道、これが見えたらビーチから海浜公園に入る目印

二ーハオ、ニホンコンです。

もうずっと前からこんな生活で、ずっとこんな生活が続くと思ってしまうお正月。

なんてったって子どもたちの冬休みが今年は長い!クリスマス前から冬休みに入り、
お正月明けてもまだ休み。三連休も休み、そして連休明けの今日がようやく始業式。

もう私ずっとご飯作って洗ってる。そして家は誰かが暇だと叫んだりケンカしたりしてます。

日常って何だっけ?私の時間という概念が薄れていき、このまま家族がダンゴムシのように
丸まっていく感覚にさえ陥っていくのです。ホラーでしょ。(カフカの変身読みすぎ)

気を取り直して、このお正月という概念も変化しつつあることを少し。

年末年始の風物詩に変化あり

それはコロナだったり、コロナというキッカケで潮時を迎えたものも。

恒例のお餅つきも、そろそろ変化の時期です。

手間も暇もかかります
手返しも上手になりました。手の皮と面の皮が厚くなったのか?

大勢で集まることにGOサインが出せず、2年連続で見送った恒例のお餅つき。
これまでたくさん準備をしてきてくれた義父母に感謝しかない現在、そろそろ世代交代の
時期かなあと思っています。

とはいえ、猫の額ほどの庭もなく、焚火もできない我が家で、どう引き継げるかは課題。

田舎の友人宅も、「随分前に辞めて、今や餅つき器6台をフル稼働させてる」という
「スーパー昭和からの脱却」ヒントをくれた。

いや、そこまで飛躍しない、知恵みたいなのをくれ。

場所は忘れたけど、on the way to back home

帰省もしかり。

今年は我が家初の受験を迎えるので、帰省はお預け。

なんと今どきの高校受験、大晦日は31日もガッツリ、お正月は元旦からお弁当を持って冬期講習。

母と1号、「ただの週末」みたいな感覚で朝6時に起きてました。

ただ、帰省は高齢の両親からしたら、嬉しい反面、ドヤドヤと大人やちいこいのが押しかけてくる
ので、負担もあるだろうなーと。

今年は実家で大がかりな宴の準備をしなくてよいので、こっそりイエーイ!って思ってるだろうな
と思っていた。

そしたら大晦日に母から「何も支度しなくていいからイエーイ!」的なLINEが来た。
それ言わなくていいやーつ!(笑)

数年前の駅伝。今年は旗も配ってなかった模様

駅伝もまたしかり。

毎年かぶりつきで家の1本向こうにある30号(湘南新道)で応援していたのだけど、
昨年から応援自粛要請が。

それよりも厚底シューズ効果なのか何なのか、レースが年々高速化。

台所に居ながらテレビに耳を澄ませていたら、往路も復路も予想よりも遥かに早く、
気づいたらほぼ通り過ぎていた。はやっ!

しかも、昔はお兄さんだった選手たちが、気づいたらいつの間にか年下。
そして更に気づいた時には子どもと同じくらいの年になりつつあり、むしろ
監督のほうが自分と同世代という。

時の流れに身をまかせていたらレースの高速化よりも時の経過のスピードに置いていかれそうです。

年賀状よ、永遠に

なーんて思ってるのはせっせと新聞を描き続けている我が家だけ?

もう書かなくなったお宅もあったり、いただいた年賀状で「今年で最後です」というお宅もありました。
もちろん、師走にこの作業は大変、辞めるお宅がいるのも十分理解できます。

それでも我が家は時間のある限り、しち面倒くさい作業をしこたま重ね、印刷に出し、
ひとりずつ顔を思い出しながらコメントを描き、切手を貼って投函する。

ちなみに切手は、新聞を書き始めてから幾度となく値上がりし、料金がおぼろげ。
毎年郵便局で「あの手紙に貼るやつ、今いくらですか?」と聞きながら、局員さんが
引くほどの枚数を購入しています。

年賀状、というか手紙文化は自分だけでも残していきたいもののひとつです。

変わりつつあるお正月を眺めながら思うのは、方丈記の一説。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

年を重ねると「変化」にうまく対応できず抵抗を覚えがちですが、そりゃずっと
同じものなんてないわな、とアハハと笑いながら「さして対応出来てない自分」も
受け入れようと思います。

それが今年の年末年始。オヤオヤオヤ!あらららら、と思ったことをつらつらと。

1月11日 ニホンコン

ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。

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