その瞬間の感情を
ニーハオ、ニホンコンです。
元気印をうたっていますが、割と気ィ使いです。
自分のことよりも、周りのことを優先してしまいがちです。
これを日本人ぽいというか、大人の対応と呼ぶかは分からないけれど、
今回「ああ、そうしないほうがいい瞬間もあるんだな」と思ったことが。
一言でいうなら「その瞬間の感情は、その瞬間に出したほうがいい」ってこと。
部活の引退に寄せる思い

2号が部活を引退しました。
惜敗という二文字。目を真っ赤にはらす選手たちに拍手を送ったり、消沈して
さめざめと泣く保護者に声を掛け、肩を叩いて回るという、それこそ文字通り
「気丈に振る舞っていた」自分。
泣くのは自分じゃない、一番泣きたいのは選手であり、監督であり、コートの
向こう側に居る人だ。私は泣いちゃいかん、出来るだけ平気にしていようと、
淡々と現実を進め、取り乱さずに元気印の自分のまま帰りました。
が、そこから数日。淡々と現実を暮らしていながらも、1日1キロペースで体重が
落ちていく。食欲がないのは暑さのせいだと思っていたけれど、実はじわじわと
弱っている自分に気づく。
これ以上体重が落ちたらマズイな、と思っていた矢先、「過呼吸になるほど泣いた」
という友人母からのメッセージ。これはいかんと彼女を慰めるべく夜のファミレスに
仲間たちを緊急招集。
が
実は自分が一番弱っていたらしく、全員の顔を見た瞬間に、一目を憚らず
ワンワン泣いたのは、他の誰でもない私。えー!私だったの?!と自分でもびっくり。
あの時の感情を飲み込んで、我慢して平気に過ごしていたのが数日間体内で蓄積
されていた模様。仲間の顔を見た瞬間に涙がどばーっと溢れ、そこからは話しては
突っ伏して泣き、頭を撫でられて慰められるという始末。
ちなみに、過呼吸母はさんざん泣いたので感情は既に別のフェーズに以降しており、
そんな私を横目に失礼なくらいケラケラと笑っていました。
深夜0時の閉店と共に解散。「良かったね、24時間営業じゃなくて、モーニング食べて
帰るところだったよ」なんて笑いながら帰宅したら急に空腹となり、冷蔵庫に残っていた
焼きそばをガツガツ食べて寝た。
泣きたい時に泣けばいい
大人なんだし、カッコ悪いし、子どものことだし、私がしっかりしなきゃの責任感は
悲しみの先送りをするだけ。むしろ、先送りした分の感情が、身体の中で
たまって、淀んで、地味に自分を壊していく。
時間差で憔悴するくらいだったら、その場でみっともないくらい泣けばいい、
これまでの感情を全部出しきって、誰かに支えられるまで崩れ落ちればいい。
そうすることが、次へ前を向くための、儀式みたいなのかもしれない。

昨日娘を連れて観戦した県大会。惜しくも敗戦したチームがギャアギャアと
悲鳴にも似た雄叫びを挙げながら泣いていた。なかなかに騒音だなあと
思っていたけど、ひとしきり泣いた後はムシャムシャ何か食べながら次の
試合の応援をしているのを見て、若さゆえのリカバリー力に驚きながらも
この雄叫び号泣タイムの凄さと、その効果をを目の当たりにしたっけ。
その瞬間の感情を大切に。そうしないと、後で来るよ。
今後も周りを気遣うであろう自分と、もしかしたら私も、という人へのメッセージ。
7月29日 ニホンコン