ポンペイ
おはこんばんちは。飯塚です。
黙ってても押し寄せるクリスマスイベント真っ最中。去年はちょうどドイツ、ブリュッセル、アムステルダム旅行に行きました。

ヨーロッパのクリスマスマーケット、楽しかったなぁ。
毎年冬に愚痴ってますが、日照時間が短いとやっぱり暗闇に彩りを与えるイベントが必要だと実感します。
ちなみに我が家、今年は庭で6年かけて育てたクリスマスツリー、やっとリビングに飾れました。庭に3本あるクリスマスツリーの一番小さいのをチェーンソーで切り、屋内に持ち込みましたが、ちょっと大きすぎました。
でも生のもみの木の香りは最高です。

眩しい南欧の記録。
先日旅行したイタリア、何が強烈だったかって、一言でヨーロッパと言っても南欧はアイルランドと全く違う、という事。
特にポンペイ、ナポリ辺りの南イタリアは空も空気も気温も、植物などはまさに「南国」で。

ポンペイ、ご存知ですか。
ポンペイは、イタリア、ナポリ近郊の古代都市。
西暦79年のヴゥスヴィオ火山で発生した火砕流よって地中に埋もれました。
地中から古代の物が発見されていたので都市がある事は認識してされていたものの、18世紀中頃に発掘作業が始まったとされています。
自然災害の多い日本人には割と身近な話。63人も犠牲になった御嶽山噴火は2014年に起きたばかり。雲仙岳や普賢岳の噴火の犠牲者の方にはあまりにリアルでポンペイに来る気持ちにはなれないはず。
ポンペイへはナポリから電車で30分ちょっと。車窓の景色、サボテンが線路沿いに生えていて。
オレンジ色のサボテンの実がポコポコたくさん成っていた。あれ、モロッコで食べたなぁ、確かに11月だった。あまり甘くはなくて酸味もなく特別好きな味ではなかったのだけれど。
車窓の景色は青い海、そして栄えていたポンペイの街を焼滅させた火山のヴェスヴィオ山も電車で通過します。
観光客には山のハイキングなどのアクティビティもありそう。と思ってましたが、確かにハイキングできるそうですが、現在も活火山です。
駅に着き、オーディオガイドを借りて。
ポンペイは以前も来たことあるけれどその時はガイドもツアーもなしだった。やっぱり「解説」は必要、という事をバチカンで学んだ。
スマホのオーディオガイドと地図を受け取る。お金を払い、私のIDカードを引き換えに預ける。じゃないとオーディオガイドを返却しない人がいるからだ。
説明を一通り受け
「4時半までに返してください」
今は9時、4時半なんてそんな長くいるわけないよね、と話しながら入り口ゲートに向かう。

快晴、気持ちいい気候。観光客はみなさん歩きやすい靴に帽子、バックパック。オシャレよりも歩きやすさです。
要は古代都市探検です。
一言で言うならポンペイは町。

家々ところどころ豪邸、お店、パン屋さん、魚屋さん、レストラン、お風呂屋さん、クリーニング屋さん、娼婦の館、ワイン醸造所、コミュニティホール、大劇場、小劇場、公園、運動場、その形だけが残っている。

小さい子供連れの家族を見ながら真っ先に思うのは
「ここで本気でかくれんぼされたらおしまいだ」
まず見つけられないよね。はぐれたら子供は焦って泣くだろうし。

観光客とスタッフがあちこちにはいるから迷ってたら泣きついて保護してもらうんだろうけど。

入場者チェックしてないだろうし、ここで夜を明かそうと思ったら余裕で隠れられる。
ただし、噴火で亡くなった亡霊やら怨念がうごめいてそうで絶対に夜中にいたくはないけど。
昼間、他の観光客と一緒にいるから私たちは平常心で見られる。約2000年前は惨状の現場だった。

それなのに例えるならアウシュビッツや広島、長崎の原爆資料館とは全然違う。
「人々の暮らしが奪われ亡くなった悲劇」という点だけは同様なのに過程や理由、人数も違うのでそもそも比較してはいけないだろうけど。
アウシュビッツのツアーは重く暗く、涙しながら歩きガイドさんの声だけが響く「お通夜」のような雰囲気だった。
人間が人間の生活を破壊する戦争。
加害者が明確ゆえ「憎しみ」や「人間の醜さ」「愚かさ」が壊された人間への悲哀同様に胸に刻まれる。
その負の感情があまりに大きくてやりきれない。
火山灰が降りしきるポンペイ、そこはまさに地獄絵図ではあったはずだけれど。
当時の人口は20,000人だったそうだけど、事前に避難した人が多数で噴火で亡くなった犠牲者は約2000人だと言われている。

私たちは自然には立ち向かえない。
予期せぬ自然災害には、憎しみや醜さのような黒い感情は生まれない。私の中にあるのはそこに生きていた人への憐みだけ。

その生活ぶりは2,000年も前だなんて感じさせない。あまりに高度な暮らしを営んでいた古代の人に想いを馳せる。

またポンペイを発見、6メートルも堆積した火山灰を掘り起こし村を再現させた作業員や歴史学者の驚き、興奮、情熱、苦労、を思うと胸が熱くなる。

2000年前の光景をできる限り後世に遺したその功績。

ポンペイの歴史は「悲劇」、だけれど発掘した人の想いがこの場所を「負の遺産」にしていない。善意が上書きされているからか。

家の正面のキッチンカウンターにかまどがあり、中庭に水場やオブジェと壁画がある。

水飲み場があちこちに設置され、排水設備も整えている。
電気とガスを通せば今も住めるよね。


私たちはガイドを操作して「え〜と、ここは何かな?」なんて次々とコマを進めて歩く。
天気が良くて良かった、土砂降りな日に来たらどうしようもない。真夏は日陰がないので熱中症になる、というのも納得。
石畳の道、段差もたくさん、足腰鍛えてないとなかなか堪えます。

お年寄りのツアー客の皆さん、元気だなぁ。
オーディオガイドは古いバージョンなのか、説明と場所が微妙に合ってない、なんてことも。以前は見られた内部が今は立ち入り禁止らしい。

ガイドをアップデートしてくれないところがまたイタリアらしいのかも。
とはいえガイドがあってよかったのは確か。

ひたすら見て歩いて、疲れてきた。
地図を見ながら、うんうん、まだまだあるな、というところでカフェのサインが。

「お茶にしようか」
「もう座りたいし」
「確かに休憩必要」
「トイレも行きたいよね」
ここで異論が出ることはまずない。
そういえばトイレは中であまりなかった。
カフェに行く道中が発掘調査中の場所の足場で、上から家々を見られて。
これがまた面白くて。撮影禁止だったので写真はないし、本当に誰一人写真撮ってなかったの、素晴らしいと思えたり。
カフェに着いたら、最初は「お茶」と言っていたのがいい匂いがして食欲刺激されやっぱりランチに。

繁忙期ではないはずだけどそれなりに混み合っていた。


チャージしたらまた地図見ながら歩く。ポンペイの外れには運動場、巨大な劇場が。


ちょっと歩くとまた小劇場も。ボックス座席もあれば、音響も最後尾席まで響くように設計されているなんて、もう2000年前の人の天才ぶりに恐れ入るばかり。

いやー、歩いた。見た。素晴らしいね、大満足。
出口に向かって歩きながら太陽が傾きかけている時間なのか、と気付く。
結局、オーディオガイド返却は4時過ぎに。店員さん、全然大袈裟じゃなかったのね。
丸一日歩き回って疲れて電車に乗るけど、席はなくて仕方なく立ってナポリ駅まで。車内の壁側に寄りかかれただけでも良かった。
電車で座れなくて泣き叫んでいた男の子もいた。うーむ、気持ちはわかる。けど、仮に自分が座っていたら席譲ってあげる自信はないのよね…。だから誰も譲ってなかった、人生は厳しいのだ。
ポンペイ→国立考古学博物館が正しいルートです
噴火の火山灰で埋まったポンペイ。そこに残っていた壁画の殆どや彫刻、鍋や家財道具の殆どは保存のためにナポリ市内の博物館に収められている。
オーディオガイドにも
「この部屋にあった壁画はナポリの博物館に展示してあります」というアナウンスが幾度もある。
というわけでポンペイ翌日はナポリの博物館に行くのが王道コース。
ナポリ駅から地下鉄で博物館前に。

巨大かつ精巧な彫刻が何体も。彫刻を見上げながら、人間ってこんなにも美しい造形なんですか、なんて当たり前の事に今更気付かされてしまう。



色鮮やかな壁画が発掘されたレイアウトで展示されていたり。


モザイクの柱や壁画も巨大で。


お鍋などの家財道具はもちろん、ガラス製品やアクセサリーなどもあり。


約2000年前の人達がいかに高度な技術を持っていたかを知ることができます。

あとはやっぱり堆積した火山灰を掘り起こした巨大プロジェクトの大変さ。

彫刻など破損させないように、鍬とかでガツガツ掘れなかったんだろうな、など。

私みたいなせっかちで大雑把で忍耐力ない人からしたら、力をこめて鍬をいれちゃうよなぁ、絶対それやってはいけないんだけど。
とにかく途方に暮れる仕事なわけで。
ポンペイを発掘した人達が見た光景。

そこは石炭化した人間や動物などの悲惨な姿もあるけれど、この彫刻や壁画がある状態で見られたのは本当に羨ましい、と誰もが思うはず。
昨日歩いたポンペイに、想像で彫刻や壁画を当ててみる。

ポンペイは「滅びた悲劇」。
とはいえ噴火がなければ当時をそのまま永久保存など出来なかったのだ。

それを掘り起こした18世紀の人たちの情熱と苦労の賜物。
こういうのをロマンというのか、歴史オタクでなくとも不思議と興奮してしまう。
この歴史的遺産を目撃できた事はありがたい。
うちの子達連れてこなきゃ、と熱烈に思うのでした。
