「離れた日」から思うこと。

おはこんばんちは。飯塚です。

日本から戻ってきて二週間経ちました。意外と晴れの日が続いて、まぁまぁ暖かい。今週はずっと晴れるようで

ありがたい限り。

近所の森に「散歩」と言いながらキクラゲ採りに行きました(アイリッシュはキクラゲは食べない)。

「9歳児独り立ち記」先週の続きです。

アイルランドの学校最終日。先生は送別会を開いてくれる、という。

「じゃあ、せっかくだからお寿司を作ろうか。」
と提案すると息子も嬉しそう。

息子は事前に先生にお寿司を持参するか確認を取ると、「ぜひお願いします!」
とリクエストされた。

朝から巻き寿司を作り、息子に持たせた。

巻いた具はスモークサーモンやハムやツナ缶、卵焼き、きゅうり、アボカドなど。

半年間会わない友人達と先生にお別れ。
仲良しの何人かは涙も流して寂しがった。
クラスの子達とハグをした。

旅立つ人は未来ばかりに気がいって晴れ晴れとしている。残される側は寂しく、置いていかれる気分になる。

息子にとってそれが悲しい別れじゃないのは、半年後には帰ってくるから。

彼のベースはこの学校。

半年後、彼が日本の学校を発つ時は、後ろ髪を引かれる思いがするのだろうか。

出発日。
朝は隣人が学校に行くのを見送る。しっかりとハグをして。

空港では見送りの夫とハグ。

夫、三月末まで半年会わないんだな。
力強く抱きしめるけれど、慌しすぎて涙はない。

一年ぶり!日本の学校のお友達と再会。

日本に来て、数日間東京や仙台で過ごし遊ぶ時間。
学校にも挨拶に行く。

見慣れた校舎。

新しい担任は若い女性の爽やかな先生だ。

持ち物の確認もしながら、実は漢字の勉強が追いついていない事、そして私が三週間でアイルランドに戻る旨を伝える。

先生は若干驚いた様子。無理もない。

始業式。
式が始まるまで控え室で諸々書類をいただき、そのまま式を見せていただく。

式の最後に全校生徒の前で紹介され、しっかりと挨拶できた。

約一年ぶりに学校の友人に会う。
彼が戻ってくる事は知らなかったらしいクラスのお友達。
わー!という歓声が上がっている。

歓迎されているかな、良かったね。

がんばれ。きっと半年間、楽しいよ。

学校に戻ってこれた事は嬉しかった。友達もいつも気にかけてくれて楽しいし、給食もおいしい。

しかし、当然ながら学校の勉強についていくのはなかなか大変な様子。

漢字、本読み。

宿題は私の母がつきっきりで面倒を見るのが日常になった。でも疲れていると全然集中できない。

合唱の歌詞を写しがきする宿題をやっています。

文章の読み込みが困難なのも手伝って「理科」もついていけないと嘆く。
「光の屈折」のくっせつってどういう意味?

アイルランドの学校では体験したことがない、「落ちこぼれ感」。
何をするにしても、語彙量が圧倒的に足らないのだからそりゃそうだよな、と思う。

ある日、
「ねぇ、お母さん、「だいたい倍くらい」ってどういう意味?」と聞いてきた。

「About twice as much だよ。倍ってのはtwice ってこと。なんで?」

「みんな言うから。そう言う意味かなぁとは思ってた。」

「そっか。あのさ、今度から学校の先生や友達に、その場で意味を聞いてみたら?みんなはあなたが何を分からないか、わかんないんだよ。特に先生に聞いてみた方がいいと思うよ。みんなに聞かれたくなければ一人でこっそり聞いてもいいし。先生にあなたがわからない事を知ってもらえるし。それに知らない事は恥ずかしい事じゃないし。」

息子がアイルランドにいる時からいい続けている事。英語の世界で生きているのだから、日本語は日本人には足りてない。

でも知らない、わからない、は恥ずかしい事ではない、という事。

聞けばいいし、その場で知識にすれば良いだけのこと。

彼の日本語会話はほぼ日本人レベル。だからこそ、先生には彼の語彙量がどの程度かわかりづらいはず。
息子達とずっと一緒にいる私には彼らが見ているテレビの難解な表現に時に解説が必要だと知っている。

担任の先生には全くもって手探りなのだ。

幸い、とても優しく温かく見守ってくださる先生のようだ。

まだ、始まったばかり。大丈夫。

息子、今年よりサッカーからバスケに転向しました。

去年の体験入学以降、息子にはある変化があった。

5歳の頃からやっていたサッカーを辞めて町のバスケットボールクラブに入会したのだ。

バスケット、町のコミュニティホールで週に一回だけ1時間の練習。

ちなみにアイルランドではバスケはとてもマイナーなスポーツ。
クラブ内はアイルランドに移住したアメリカ人率が高い。

バスケを楽しむ息子、日本に行く前から入団を考えていた。

小学校の下駄箱辺りにあった張り紙
「ミニバス入団者募集」

学校生活、日本の生活に慣れ始め、ようやくミニバスの体験入団希望のメールをすると、
「今日の練習に来ますか?」
の返信がきた。

雨の日曜日。三時間の練習はちょうどいいや。早速そのままお邪魔する。

ミニバスの練習は平日二回、土曜の朝、日曜の午後。
週に4回、それぞれ約三時間。

そんなにやってるの、凄いな。これが日本のスポ少の平均なんだろうか。

子供達はともかくとして、コーチの負担を考えると頭が上がらない。

ちなみにアイルランドのバスケは週一回で1時間しかない。
そっか、練習時間が圧倒的に足りないよね。そんなんじゃ上手くならないか。

練習風景も基礎の走り込みをしっかりしている。
アイルランドのバスケで見たことがないトレーニング。

ここで半年間みっちり練習したら上達するだろうな。

しかしながら、これこそは私の母にしっかり引き継ぎをしなければならない。

練習には「お当番さん」の保護者がつき、体育館の鍵を開けたり窓の開け閉めなどをし、練習時間最後までつきそう。

何より私の母を困惑させたのはアプリ。

出欠連絡やスケジュール、連絡を取るようのアプリが全て別々で3つをインストールしなければいけない。

確かにね、アイルランドでも専用アプリで支払いなど学校もスポーツクラブも成り立っている。
世界共通の変化に驚きはないけど、アプリ3つは多いなぁ。

デジタルアレルギーな両親、我が家は父は携帯すら持たないし、母もスマホを必要最低限しか使わないしネットで買い物などした事がない。

こんなにアプリ使うの、大丈夫か?

面倒だしややこしい、の一言に尽きる。

案の定。イライラが最高潮に達している。

担当の方にアプリの説明を受け、私もとりあえず全てインストール。
何かあれば遠隔操作することに。

また練習試合は丸一日付き添い、車をだす事などは老夫婦には負担でしかないので、母は
「申し訳ないですが、うちは練習だけの参加にします」
と伝えたらしい。

それでも籍をおいて頂けるのはありがたい。

当の本人は大人の憂鬱などどこ吹く風。

思い切りバスケができるのは嬉しいらしい。

クラブのコーチや先輩たち、厳しく、かつ温かく指導してくださっているようだし、礼儀や挨拶などもしっかりしているのはいかにも日本風。練習終わりは全員で体育館の掃除もする。

こういうの、アイルランドは一切ない。ここから何か学んでくれるといいのだけど。

旅立つ者と残る者。

学校も、バスケも日常になってきた。そろそろ私達の出発だな。

昨年も行った山寺、また行ってきましたよ。

私は買い出しに荷造りをする日々。

息子2号はアイルランドに戻るのが嬉しそう。

今回は三週間息子2号も幼稚園の体験入園をして、彼なりに楽しんではいた。

けれどもやはりアイルランドの学校や家で留守番しているお父さんに会いたいのだ。

たまにするビデオ電話で、帰ってからの話題をするようになる。

声を弾ませる弟と、その話題には入らない長男。

あれ?何ふてくされてんの?あなたもアイルランドに帰りたい?

と何げなく聞くと
「いや!日本に残る!」

そうだよね。自分で決めて夢見ていた事だもんね。

とはいえ、だんだんと募る不安。

2歳の妹に毎日

「もうすぐ離れ離れになるんだよぉ〜」

などと感傷的に言いながら抱きついている。(もちろん2歳児はなんのこっちゃな様子)

もうすぐママも兄弟もいなくなる。大丈夫かな、やっていけるかな?
きっと家は凄く静かになるだろう。寂しくなるかな。

自分の部屋まで作ってもらって幸せ者だ!!

私は私で友人達から
「キッズ携帯やGPSを持たせるべきだ」
というアドバイスをもらい、調べたり友人に聞き込み調査をする。

家から学校は直線距離で5分。スーパーもその距離。

他には基本的に出歩かない。

大丈夫だよな。
人通りも多く明るい道。ここを普通に歩いていれば問題ないよね。

結局、購入には至らず。

さよならの日。

諸事情で息子は空港の見送りには来ずに、仙台駅の新幹線ホームでお別れすることになった。

母も長男と一緒に仙台に残る。

私達と東京に行くのは父だけ。

新幹線のドアが開く。席だけ確保し、またホームに出て出発まで別れを惜しむ。

力いっぱい抱きしめて
「頑張ってね。楽しむんだよ。仙台のドライバーは危険だから車には気をつけてね。」
とだけ伝える。

BGMは小田和正のあの曲。

頭の中は

妊娠中から赤ちゃん時代。
初めて歩いたとき、幼稚園や学校の初日。何度も飛行機で日本とアイルランドを行き来したこと。
ボートの家族旅行。
コロナのロックダウン中に自転車であちこち行ったこと。

あんな事もこんな事も、走馬灯のように…。

は全く考えたかった。

そんなん考えたら、大号泣。そんな姿は晒したくない。

とりあえず頭の中は空っぽにして。

それでも9年間ずっと一緒にいた自分の子としばらく会えないのだ。という現実だけで込み上げるものは止まらない。

おかしいな、小田和正のあの曲もなく頭の中は無音なのに。

久しぶりに目から塩分を放出しその後は目がヒリヒリした。

ただ、寂しくは思いながらも悲しくはなかった。

テクノロジーが繋げる東と西の果て。

アイルランドに戻る飛行機。

まだ事情を理解しない末の2歳児だけが、
「お兄ちゃんは?」

と聞く。

面倒見がいい長男にいつも遊んでもらっていた2歳児は寂しいかな。

逆に毎日喧嘩が絶えなかった5歳児は

「いない方が楽しい」なんて言う。これもいつまで保つかな。

アイルランドに到着したのは日本の朝7時。すぐにLINEのビデオ電話をする。

それからは毎日、1日一回ビデオ電話。

時差9時間、話す時間はこちらが朝で日本が夜7時くらいの事が多い。

何度かはこちらの登校時に電話を繋げてアイルランドの友人達や担任の先生とも話せた。

電話では、毎日何が起きたか報告してくれる。

相変わらず給食が美味しい事。

バスケの練習が楽しい事。

4時間授業の日は公園で友達と遊ぶ事。

理科のテストが良くなかったけど算数のテストは良かった事。

体育の幅跳びはクラスで一番だった事。

今週は国語のテストで100点を取った!という報告までしてくれて私たちを驚かせた。

とても楽しそうで、生き生きしている。

アイルランドではほとんど親の車がないとどこにも行けないこともあり、一人でどこか出かけることはできない。それができる日本の生活、自立していると感じられるらしい。

「でも車には気をつけてね。知らない大人に話しかけたり危なかったらすぐにお店に逃げてよ」

などと言うと

「ママは心配しすぎだよ、僕はもう大きいんだから」

などと澄まして言う。そのくせ、夜は一人で寝られなくて私の母の隣に布団を敷いて寝ているけれど。

息子と離れて二週間以上経ち、改めて思う事。

あぁ。私がいなくても幸せに生活できるって素晴らしい事だな。

今まで子育てを「自分がやってる」みたいな気分でいたけど。

きっと子供って親だけじゃなくて、たくさんの人が関わってくれる方が成長するんだろうな。

おじいちゃんやおばあちゃん、学校の先生や友達、スポーツクラブのコーチやお友達。

もちろんいい人ばかりとも限らないし、相性が合わない人、嫌われる事もあるかもしれない。

それでもその体験から得る事もある。

幼くして色々な価値観や世界を経験できるのも貴重。

9歳児、アイルランドの生活や常識も心地よいけど、日本で生活をして子供なりに思う事もあるようで

「アイルランドの学校に戻ったら校長先生に改善点を直訴したい!」

などと息巻いている。

母からは

「毎日すごくご飯をたくさん食べてる」なんて報告が。

育ち盛り。きっとエンゲル係数爆上がりだ。

よかったね。もう私はほとんど心配してない。

ある日の夕飯。いいなー。
ある日の夕飯。こりゃ「ママのご飯より美味しい」わけだよ。
ある日の夕飯。ズルい、ズルいよ!!と西の果てで嘆く。

今は、東の果てからの
「おかーさん、こんにちは!」
の声が3月末まで元気であり続けますように、と願う日々です。

5歳児は最近ちょっと寂しくなってきたみたい。2歳児も兄の不在が不思議な様子。

西果て便り

(毎週木曜日更新)
世界放浪の後にヨーロッパの西端アイルランドに辿り着く。海辺の村アイリッシュの夫、と3人の子供達(息子二人、娘一人)と暮らしています。