きっと私は「渋谷世代」。
おはこんばんちは。飯塚です。
実家の母と電話をしていたら、「暑い、暑い、毎日30℃超えてるよ」と。私が子供の頃は仙台の夏は25℃くらいで、夏休みに母の実家の東京に行くとたまに30℃越えていた記憶。
アイルランドに来る前の東京での会社員時代は確かに夏は毎日30℃は超えてた。
朝晩はともかく昼間に社外打ち合わせやあちこちに出かけるのを憚るくらいに日差しと熱風だった。
今はそれ以上なんですか、だから私達は夏に日本には帰れません。
こちらは安定の17℃、夏でも20℃超えないのですよ、羨ましいですか?
ちなみに先週、庭のプラムの事を書きましたが、先日全て採り終えました。
プラムの甘みも落ちてきて、気づけば蜂がプラムを刺して甘い果実を食べ漁っているので、食べられそうなのは全て収穫。
今シーズンは二本の木から1735個プラムを採りました。
相変わらず冷凍庫はぱんぱんです。
今はプラムに追われる生活から解放されて内心ホッとしています。
果物はあまり買わずに済むのはありがたい。しばらくプラムも桃も、チェリーも買いたくないくらいに家族全員プラム食べ過ぎた三週間でした。

インタビュー記事を読むのが好きです。
こういうのを書いていると、たまに
「読書よくするの?」
と聞かれます。恥ずかしながら
「昔はよくしましたが、今は全然読んでません」
としか答えようがないくらいに、日本を離れてから読書は数えるくらいしかしていない。
ここ数年は毎週日曜日に「The SUNDAY TIMES 」の新聞だけは欠かさず買い新聞と付属の雑誌を読むので「読書時間」的な感じになっているのでお許しを。
この雑誌、世界で起きている社会問題や犯罪に焦点を当てた記事は読み応えがあり、恐ろしく乏しかった英語の語彙量はこれで鍛えていると言っても過言ではない。
この雑誌のインタビュー記事を読むのも楽しみで。
自分の知らない世界の人の人生、そこから紡ぎ出される言葉を読むことは小説を読むことと同じくらいに面白みがある。
サブカルに目覚めた中学時代
そうか、その楽しみを見つけたのは自分が10代の頃だったのだ。
と渋谷陽一さんの訃報を知り改めて気付いた。
中学生の時になぜか急にハマった忌野清志郎さんの音楽から渋谷陽一さんの事を知る。
(私は忌野清志郎さん、渋谷陽一さんのドンピシャ世代より10歳くらい下なはずなのだけど)
何かで読んだか聞いた、
「人は中学校二年生の時に夢中になったものはずっと好き」
というのは、なるほどなぁ、と首を縦に振らざるを得ない。
思春期というのか反抗期に大人や社会への不満や苛立ちを音楽、文学、言葉、世界観に投影させる。
この歌詞は!私の心情そのものすぎる!
と。
中学生の時から「よくわからないくせにわかったふりして読んだ」渋谷陽一さんによる忌野清志郎さんのインタビュー。
毒舌で棘があって他のインタビュー記事とはまるて違っていて、それが面白くて、別段ファンではない他のミュージシャンのインタビューも読むようになりそこから音楽を好きになった人もいる。
幼かった自分は彼らの世界に触れてわかったような錯覚に陥っていたのだろう。
田舎の、音楽に無知で特に秀でた才能もない子が才能の塊のミュージシャンの感情など持ち合わせるわけもないのに。
ロッキングオン・JAPANのインタビューは小説でもノンフィクション文学でもファッション雑誌でもない、「創り手の話や人生を知る事ができる」ありがたい読み物だった。
その後、ロッキング・オンから出版されていた雑誌のCUTは映画関係の記事が多く、このインタビューも毎回楽しみにしていた。
大学時代の友人はロッキング・オンにエントリーシートを出していた。
「ロッキング・オン」に勤めてる=センスの塊の都会派知識人
的なイメージ。
ロッキング・オンの特集に組まれる人、グループ、作品は大衆的な陽気さではなく少し陰気と棘がありどこか洒落ていて、都会っぽかったり、知的な雰囲気があった。
「好き」でも「尊敬」でも「なりたい」でもない想いはどう表現すべきだろう。
私世代、その世界観に惹かれた人は渋谷陽一さんの推すミュージシャンやバンドの音楽を聴き、フェスに行き、雑誌を読んだ。
何かを創造する才能もビジネスセンスもジャーナリスト気質もない私は、ロッキング・オンの世界に憧れていた。

ロッキング・オンの入社試験は受けなかったけれど、後年に映画会社に入ったのは、CUTを毎号のように買っていた過去の自分には夢のような未来だったはずだ。
雑誌、日本に取ってあるはずだよなぁ。久しぶりに読みたいな。
渋谷陽一さんは不思議な存在だ。
ミュージシャンやアーティストではないし、だから私も「好き」とか「尊敬」「慕う」的な感情があるわけではない。インタビューや記事を読む限り、相当クセもアクも強そうだし主張もしそうだし、私なんかは怒鳴られてなじられそうでもある。
優しいおじさんではないし、いわゆる「良い人」でもなさそうだし、実際渋谷さんを嫌いな人はいるだろう。
そんな個性の強い渋谷陽一さんの名前が溢れたSNSのフィード、ミュージシャンや著名人のお悔やみや社員の「今だから言えるエピソード」もあまり意外性がないながらも思わず笑ってしまったり。
しかしほとんどが「何者でもない普通の人達」が呟く渋谷陽一さんへの抑えきれない思い出。
アンチの意見もあるけれど、大体が私と同じく
「渋谷陽一さんのおかげで音楽を知る事ができた」
という感謝で溢れている。
大体、渋谷さんを叩く人もいるけど誰も渋谷陽一さんにはなれない。カリスマ性もあったに違いない。
日本人の友達がいない世界に生きる孤独な私はネット上の「同志」を見つけて10代の自分を懐古する。
各実にあった一時代、「普通の子達」に文化に触れる楽しみを教えてくださった渋谷陽一さん。
ありがとうございます。
ご冥福をお祈りします。