ひとり。

先週土曜日。梅と星で開催した「スナックさくら」。お越しいただきましたみなさま、ありがとうございました。
奥のキッチンでひたすら揚げ物をしながら、時々カウンターに顔を出すと、楽しそうにお酒を飲む皆様のお顔が見える。はじめまして、〇〇と申します。よろしく!人と人が機嫌よく、にこにこつながっていく時間。なんとも幸せな光景でした。そうそう、こういうことがしたかったよね、ずっと。

グッズからみんなへの連絡から、伝票のデザインまであらゆる準備を担当してくれたリーダーぐっさん。おつかれさまでした!この日お初に会うことのできたSAKRAメンバーもいて、とても嬉しい時間でした。そういえば、カメラでもスマホでも1枚も写真を撮らなかった。写真のない1日もいい。

一週空きましたが、今週は記憶が薄れないうちに10月末に行ったソウルへの旅のことを。

ものすごく深い理由があるわけでもなく、勢いでチケットを買ってふらっと飛び出したひとり旅。2年半以上、韓国語でいうところの「답답하다(タプタプハダ)」、なんとも言えないもどかしい時間の限界が来ていたのかもしれません。

旅の一日目と二日目の夜ごはんだけ、友達に会う約束をして、あとの時間は大きな予定を決めずにふらふら思いついたままに過ごそうということだけを決めていました。友人に頼まれていた搾りたてのごま油を中部市場で買うこと。会いたかったキムチとおかず専門店のお母さんのお店にいって、あとは時間のタイミングの合う映画を見ようと思っていた三日目。

朝、イデ女子大の周りを散歩してから2号線で1本。ウルチロ4街駅まで移動する。駅を降りて3分ほど歩くと「ミョルチコルモク」(にぼし通り)という文字が見えて、中部市場に到着。山盛りに積まれた煮干しの香りをお腹いっぱい嗅ぎながら、おかあさんのお店とごま油のお店を目指す。

ソウルに旅をするごとに立ち寄っていたキムチとおかずのお母さんのお店「할머니 반찬(ハルモニパンチャン)」。「おばあさんのおかず」と書かれた赤い看板は、あったはずの場所にどうも見当たらない。この辺りだったはずの場所を何度も行き来しながら、いったんごま油の店に移動。搾りたてのごま油を買ったあと、お店のお母さんに「この近くにあったキムチとおかずのお店ってなくなってしまったでしょうか。おばあさんの営業されていた…」と訊いてみると、「キムチ屋さんならあるよ、連れて行ってあげる」とお店まで案内してくれました。ハルモニパンチャンのおかあさんのお店があった場所は記憶では十字路を曲がって左。ごま油屋さんのおかあさんが連れていってくれたお店は曲がって右。「ごめんなさい、私の記憶では左側の通りにあったんです。ここをまっすぐ行った確か右側に冷蔵のケースがあってキムチがたくさん並んでいるお店で。」「あぁ、ここのことかしら。」道を旋回して、「ここよね!」と案内してもらったお店の看板には「은진이네(ウンジニネ)」の文字。ウンジンさんのお店に変わっている。「親切に案内してくださって、ありがとうございました。」ここまで連れてきてくださったお礼をつげて頭をさげる。場所はやっぱりここで間違いがないけれど、お店の名前も、店主のお母さんも明らかに変わっている。

「とっても失礼なことを聞いてしまってすみません。日本から2年半ほどぶりに韓国に来たのですが、ここにあったおばあさんのおかずのお店はどこかに移転されたのでしょうか。」「あぁ、ク、ハルモニ(そのおばあさん)。実は、お店を畳んで今は家にいらっしゃるのよ。代わりに私たちがここでおかずのお店をやっているの。おいしいものがたくさんあるから、見ていってね」ヤマゴボウのキムチを買う。なんだか胸がざわざわしてしまって、もう一度訊いてみる。「おばあさん、ご体調は大丈夫ですか。」「사실은 암이때문에 집에 계세요.(サシルン アミッテムネ チベケセヨ)」実は癌で体調がすぐれず、家で静養をされているのだということを丁寧に教えてくださった。ちょっと食い下がって訊いてしまった自分が少し嫌になりながら、同時に新しいお店のお母さんにもなんとも言えない申し訳ない気持ちになる。「私たちがここで待っているから、またたくさん来てね」「ありがとうございます、また来ます。」

「写真を撮ってもいいよ」と笑顔で言ってくれるお母さんに、お仕事されてる姿を撮らせてくださいと伝えてシャッターを押す。ハルモニパンチャンのお母さんのことをずっと考えながら。

iPhoneの写真の検索窓に「ソウル」と入れると780枚の写真がありますという表示が出る。写真をどんどんスクロールしていくと2019年の10月26日に携帯でお母さんの写真を撮影したものが出てきた。台湾からソウルに飛んで来た青木由香ちゃん親子と一緒に旅をした時の写真。お店にいくと、顔を覚えてくださっていたお母さん。日本語のできるお母さん。手の美しいお母さん。お手紙を書いてくればよかった。

見ようと思っていた映画は底抜けに明るいミュージカルコメディー映画だった。映画館には足がむかずに東大門までぶらぶらとただひたすら歩く。光化門駅まで移動をして、教保文庫という大きな書店で本を買うことにした。ひとりでよかった、本を選びながら思う。

今日はぼーっとしよう。前日に会っていたナギョンちゃんが教えてくれた漢江沿いの公園。あそこに行こう。そういえば朝も昼も食べていないけれど、どうにもお腹が空かないからこのまま適当な駅で降りて気になったお店に入ればいいや。グーグルで漢江沿いの地図を見る。ちょっと距離があるけれど、合井駅から川に沿って歩いて、疲れたらバスに乗ろう。

光化門駅から5号線にのって、孔徳駅で6号線に乗り換え、合井で下車。こんなに韓国に通っているのに合井の駅に降りるのは初めてだ。弘大の次の駅ということもあって、若者のいる賑やかな街なのかと勝手に思っていた。駅に近い場所には背の高いビル、川に近い場所には静かなビラが並んでいる。

望遠の街の方向に向かって、川と並行する道をひたすら歩く。セーターがいらないくらいの爽やかな温度。3、4歳くらいのこどもたちの楽しそうな声が聞こえるビラに併設した公園。ママたちが少し離れたベンチでコーヒーを飲みながらおしゃべりに華を咲かせている。午後の光が滑り台の銀色にやわらかく差している。

大きな通りを川に向かって左折すると、古い建物をリノベしたすっきりとした内装のカフェが並んでいる。コーヒーを1杯ずつドリップするタイプのお店には、お客さんがたくさん集まっている。3軒ほど先にもいい雰囲気のコーヒー屋さん。夕方のマジックアワーまではまだ時間があるから、その中の1軒でコーヒーを飲みながら本を読むことにした。ただぼーっと過ごす。

ふらりと入った「塩の部屋」という名前のついたお店は店内でパンも焼いていて、近所の人たちがパンを買いに次々とやってくる。「今日はクロワッサンをふたつ」こんがり焼ける小麦の匂いがして、朝から空っぽのお腹がくーと控えめに反応する。川沿いの公園まではまだ少し距離があるから、そろそろ出発しよう。コーヒーを飲み干して店を出る。

漢江に向かってまっすぐ歩く。川に近くなるにつれて、自転車やテントの貸し出しのお店が増える。この辺りも、来るのは初めての場所。今まで知らなかった景色だ。

自転車を楽しむ人、ジョギングを楽しむカップル、散歩を楽しむ家族が川に向かうトンネルを通る。少し先の方で、もうすぐ落ちていく日差しがオレンジとグレーに川を照らしている。

川の反対側に見える国会議事堂や放送局のある汝矣島方面はまだ青い午後の光。携帯のカメラを太陽に向けて写真を撮る人、風が冷たくなってきた時間から水上スキーを楽しむ人、ベンチでおしゃべりをするご夫婦。思い思いに過ごす川沿いの夕方。

川に浮かぶ波止場の上にたつ建物の中には、コンビニ、フライドチキンのお店、レストランが入っていて、一番賑わっていたのは2階にあるスターバックス。暮れていく夕陽を見ようとガラス越しの席はいっぱい。窓から少し離れた場所で写真を撮る人越しに外を眺めている間にどんどん陽が落ちて城山大橋にあかりが灯る。今日はやっぱり、ひとりでよかった。

グランデサイズのコーヒーを飲み終える頃には、1時間半が経過していて本を閉じる。またぶらぶらと歩いて望遠の駅に向かおう。

昨日ナギョンちゃんと食べた焼肉屋さんの向かいにお菓子の店があるのは気がつかなかった。おしゃべりに夢中の時間は周りを見ていない。ソウルに来てもやっぱりドーナツにはどうしようもなく惹かれてしまう。カスタードクリームのたっぷり入ったドーナツ。かじりながら歩きたいとも思ったけれど、包装してもらってホテルで食べることに。店内には手描きのポスターがあって、お店の作りもかわいい。なんだかほっとするのは、甘いものが置いてあるからだけではなさそうだ。

ホテルで食べることにしたドーナツを片手に、次々と閉店していく望遠市場を抜けて駅の方向にむかう。市場の終点で左折。朝、中部市場でお腹いっぱい嗅いだ煮干しが香ってくる。ひだり斜め前に見える半地下のカルグクスのお店。赤と青の看板。お客さんはひとり。夜9時にカルグクスを食べる人もそんなにいないか。ビニールと鉄の格子でできた軽いドアをひいてお店に入ると、若い女性が一人でカルグクスをゆでている。店内にはたくさんのサイン。

「驚きました!」「おいしすぎるのにこの値段でいいの?」「お店を続けるために、価格をもっとあげてください。」「また必ずきます。」「おいしかった」

一番シンプルなカルグクスを注文して、キムチを食べながらカルグクスがゆだるのを待つ。あっさりした味の肉厚の白菜キムチが嬉しい。ポリポリとかじっているとほどなくして温かいカルグクスが出てきた。ニラとお揚げとのりとにんじんの乗ったカルグクス。シンプルなにぼしとお醤油のだし。汁を少しすすると心臓のあたりがあったまる。弾力のある麺を少しずつ口に運ぶ。おあげの優しい味にほっとして、のりとにらと一緒にまた麺をすする。

今日はやっぱりひとりでよかった。

今週もおつかれさまでした。どうぞみなさま、あたたかい週末をお過ごしください。

最後になりましたが、ソウルから帰ってきて一週間が経った週末。梨泰院のニュースが日本にも流れてきました。やっと自由に楽しい時間を過ごせると集まったたくさんの若い方々のご冥福を心からお祈りします。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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