ひとりでできること、ひとりだからできること。
仙台に住む友だちから連絡がやってきました。
来週の日曜日、もしかしてお時間ありますか?だんなさんのTが展示を見に東京に行くんですけど、ちょこっと小池さんに会えたりしますか?と。
お茶の時間は大丈夫だよーと連絡を返すと、Tくんと共通の友人でもあるSAKRAJPリーダーのぐっさんもスケジュールが空いていたので、3人で会うことになりました。
以前つとめていた会社から独立をして、映像、写真、グラフィックデザインの制作会社をひとりで運営しているTくんが、新しく始めたい事業についてのお話。海外と関わる仕事がしたいと話すTくんが挙げた三つの候補の国の中には、韓国も入っていた。机の上でいろいろ考えるよりも、まずは仕事がしたいと思っている国に行って、直接見てまわって考える方がいいかもしれないね。このあとすぐに始められることが1つあるとしたら、言葉かな。英語でもいいけれど、その国の言葉を学ぶことは、あなたの生まれた国が好きですという一番のリスペクトの表現だと思うから。3つの国の中なら、韓国語が一番覚えやすいと思うという、とても個人的な理論を展開。
ただ楽しくおしゃべりしただけで、役にたつことなんて一個もなかったんじゃないかなぁとぐっさんと話しながら、わたしは仕事に戻りました。
本当に相談したいことは別にあったのに、年上の私たちに気をつかって半分も話せなかったんじゃないかなぁとか、もっとじっくり、ただTくんの話を聞くという時間にすればよかったなと、ぐるぐる考えながら翌週を過ごす。

Tくんのことが引き続き頭の片隅にありつつ、何気なしにXを見ていたら『いきものニュース図鑑』の著者ぬまがわワタリさんのポストが目に入ってきました。
『無名の人生』、実家にこもってiPadを駆使して1人で作ったという新海誠もびっくりの真のインディー作品でありながら、劇場で観るに値する凄みと奥行きを獲得した逸品。日本のインディーアニメ界への応援も兼ねてパンフも買ってみたら、制作過程や設定がめちゃびっしり書いてあって読み応えが凄かった
ポストをみたのが木曜日。なんだかこの映画がとても気になって、金曜日の自分の予定を見てみると、朝一の回なら映画が終わって仕事に向かえば間に合いそうだ。前情報はぬまがわさんのポストのみ。それ以上、詳しく調べずにすぐにチケットの予約をしました。

久しぶりの新宿武蔵野館。すでに暗くなった部屋に入り静かに着席をして、グレーのトーンが印象的な映画を見始める。ほとんど喋らないこども時代の主人公が住むのは、宮城県仙台市宮城野区鶴ヶ谷。なんだか最近、仙台に縁がある。
声優さんたちの声がアニメっぽくなく、本当に存在している人のように聞こえて、妙に落ち着く。音楽も心地よくてセンスがいい。気づいたら映画の世界の中にどっぷり浸っていて、あっという間に93分が過ぎていました。エンドロールに流れる曲もこれまたくせになるメロディで、そのまま席を立たずに流れていく名前を眺めていると、突然たくさんのイラストと名前でスクリーンがいっぱいに。あとで調べてみると、映画を応援するためのクラウドファンディングに参加してくれた359人の顔と名前だということがわかりました。
コントのセットにあるようなおっきな発泡スチロールの岩で、ゴンと頭を殴られたような衝撃。ぼーっとしながら上映されていた部屋を出て、あぁそうだパンフレットも買わなくちゃとフロントに行き、こちらも監督がほぼ一人で作ったという文字とイラストがびっしりの99ページのパンフレットを手にいれる。
「人生で一番楽しかったのはいつですか?」
その一文から始まるパンフレットの次のページには、鈴木竜也監督の答えがありました。
「人生で一番楽しかったのはいつですか?」と、誰かに聞かれたら、僕は「この作品と作っていた1年半」と答えます、と。
映画と同じくらいものすごい熱量のパンフレットにも、ネットで読んだり見たりすることのできる監督のインタビューにも、終始「楽しかった」という言葉が並ぶ。
コロナ禍の2020年、勤めていたオイスターバーが休業になったタイミングで店のレジ用のiPadと百円ショップのタッチペンで絵を描き始めたという鈴木監督。『LONELY PLANET』というルフィやマリオが登場する、音楽はマイケルジャクソンにダフトパンクの曲を使った、監督曰く著作権上完全アウトの7分作品を作り、公開はできなかったけれど血湧き肉躍る感覚で制作はめちゃくちゃ楽しかったというところから始まり、現在YouTubeでも見ることのできる『MAHOROBA』13分36秒、『無法の愛』22分33秒の作品を経て、2025年5月16日に『無名の人生』が公開された。
監督のクレジットを改めて見てみると「監督・原案・作画監督・美術監督・撮影監督・色彩設計・キャラクターデザイン・音楽・編集」の一人9役。『無名の人生』というタイトルと、監督が好きだった映画『スカーフェイス』や『市民ケーン』のような人生一代記を描いた作品を作ろうということだけを決めて、脚本や絵コンテなしで、描いては編集をするという日々を繰り返したのだそうです。毎週末にする編集で、作品についての振り返りができているから、最終的な直しもほとんどなし。
誰にも本当の名前を呼ばれることのなかった男の100年の人生が、10章に渡って展開する作品が誕生した。
自身も独学でアニメーション制作を始め、初の長編作品『音楽』では脚本、絵コンテ、監督など一人7役をこなした岩井澤健治監督がプロデューサーをかって出たり、監督が今回の作品を描いている間ずっと聴いていたという名曲『明暗』を生み出したラッパーのACE COOLが主人公の声を引き受けてくれたりと、鈴木監督がひとりで描き上げた作品には、次々と援軍が現れる。
ひとりのものすごい情熱を持って、真剣にかつ楽しみながら創られた作品を見ながら感じたことは、ひとりでできることの可能性を自ら狭めてはいけないのだということ。ひとりだからこそできることを諦めてはいけない。ひとりでやりきり生み出したものが、新たに人を連れてきてくれて、縁をつないでくれ、自分の予測していなかった遠いところに連れていってくれる。
思わぬところに転がっていく人生の物語は、思えば監督の描いてきた作品を通底するテーマでもある。

iPhoneを取り出し、仙台に住む友人にすごいものを見たよとメッセージを送る。フォーラム仙台でも上映しているからよかったらTくんに伝えてくださいと。何日かして、来週夫婦で『無名の人生』を見に行くということと、作品の舞台となった鶴ヶ谷は友人の実家のすぐ近くで驚いたと返事が来ました。
Tくんが作品を見たあとに、またどこかで会えるタイミングがあったら、次はひたすらTくんの話を聞くという時間が持てるといいな。
『無名の人生』前情報をあまり入れすぎずに、あとでパンフレットや監督のインタビューをじっくり読んでいただくのをオススメいたします。いやはや、どーんと圧倒されました。

今週も一週間おつかれさまでした。『無名の人生』新宿武蔵野館では6月上旬まで上映とのこと。ぜひ、劇場でご覧ください。