川の流れ。

先週のこと。中国語の辞書を買いに神保町に行くのなら、そのまま水道橋まで歩こうと決めていました。しばらく足を運べていなかった器のお店「千鳥」で、気になっていた高島大樹さんという作家さんの作品展が行われていたのです。抽選販売の高島さんの器。外れたらまぁ、少し残念。当たったら我が家に迎えられるかもしれない。未来のちょっとしたお楽しみ券。申し込みに行きました。

辞書を買いに家を出た時には、小降りだった雨。神保町から水道橋に歩く間にだんだんと本降りになって、街を濡らしていました。

2018年3月に閉店してしまった天ぷら「いもや」の前を歩く。ランチの天丼。お味噌汁がついて650円。安くてうまい天丼はもちろんのこと、セルフでトッピングする細切りになった沢庵が美味しくて美味しくて。かつおの香りがしてごまのふってある沢庵。神保町から水道橋方面に向かって白山通りを歩くたび、あの味を思い出します。

神田三崎町にある千鳥まで。大きな通り沿いを左折して、神田川沿いを目指します。総武線に乗って移動する時、深い抹茶色の川を見ながら、神田川はお茶のような緑をしているから御茶ノ水駅という名前がついたのだと長年、勝手に思っていたのですが。1600年頃、慶長の時代。神田山の麓にあった禅寺光林寺の庭から湧き出る水がおいしいと、将軍がお茶をたてる時の水として献上された。そこから、都内の名泉に「御茶ノ水」という名前がついたのだということを最近知りました。三鷹市にある井の頭公園にも「御茶ノ水」と名のついた湧水の井戸があり、ここが神田川の源流。流路24.6km、流域面積105km²の川。井の頭公園から流れてくる水が中野区、杉並区、新宿区、千代田区、台東区、中央区を通って墨田区にある両国橋で隅田川に合流する。

江戸を水害から守るために400年前に作られた人工の放水路。船でものを運ぶ舟運が発達し、河岸によって江戸の物流が盛んになりだんだんと街ができていった。そんなことを思いながら神田川の近くを歩いていると、神田川沿いにかけられた小さな橋も気になってきます。

橋の名前を見ながら歩いていたら、いつもよりあっという間に千鳥に到着しました。お店になかなかお邪魔することはできなかったけれど、HPやinstagramに並ぶ美しい器と盛り付けられた料理を見ながら、旅に出た時と同じようなワクワクする気持ちを頂いていました。

神田三崎町3丁目にある第二原島ビルの階段を登る。1965年に建てられたビル。何度も靴と擦れた階段の滑り止めの部分が、金色にピカピカと光っています。ここにお店があるのかと、始めて訪れる方は少し不安になるかもしれないほどの静けさ。ガラスの向こうでは、ビルの静けさとは対照的に水の滴る音がしています。

2階まで階段を登ると、どっしりとたくさんの器が迎えてくれます。

高島大樹さんの器にたどり着くまでに、欲しいものが続出しそうな予感しかありません。気をつけないと…。

コロナになってから、花を買う機会が増えました。花器にもなるピッチャー。気になって、目に入ってしまう。

阿部春弥さんの黄磁の箸置きもかわいい。気持ちよさそうに休んでいる牛とライオン。

岡山・備前焼の町で、ヒロイグラスというガラスの工房を開いていらっしゃる花岡央さんの作品も、たくさん並んでいました。「ビスケット皿」と名のついた小さな丸いお皿。その名前にグッと惹かれます。

寄り道、寄り道をして、お店の一番奥にあった高島大樹さんの器にようやく辿り着きました。当たりますようにと小さく祈りながら、希望の番号を書いてお店の方に用紙を渡します。抽選の結果が出るまで、1週間前後。やっぱり何か、今日家に連れて帰れるものを…。お財布の紐がゆるゆると開いていきます。

ミルクピッチャーやおかずを取り分ける小皿も気になったけれど、名前に惹かれたビスケット皿と、見る度ほんわかと頬が緩む、牛とライオンの箸置きを購入することにしました。家に帰って、ビスケットを乗せてみると、バッチリのサイズ。

小さな買い物をして、気分も上々。雨は止みそうにないけれど、川と橋に沿って飯田橋まで歩くことにしました。

川の上にかけられた何本もの「掛樋(かけひ)」。「樋」は管の意味で、「掛樋」は川の上空に渡す、管のことなのだそうです。江戸時代に作られた上水道、神田上水。その水を市内に通すための水道管の橋だった掛樋。そのことが由来となって「水道橋」という名がついた。(参照:「江戸の古地図で東京を歩く本」ロム・インターナショナル編 河出書房新社刊)水道橋は、本当に水を通す橋だったんですね。

10分ほど歩くと、飯田橋の駅に到着しました。こんな風に歩くことがなければ、写真に撮る機会はなかなか無かった、飯田橋の石碑。地下鉄の駅の真横にありました。

1590年、江戸の開府前。土地の長老だった飯田喜兵衛が家康をこの地を案内した際、その丁寧な説明に家康がいたく関心したのだそうです。この土地を「飯田町」と名付け、飯田喜兵衛を名主に指名。1881年(明治14年)、江戸城の外堀に橋が架けられ、その橋の名前が飯田橋となった。そして、橋の名前を由来として街の名前が「飯田橋」になった。

飯田橋といえば私の中で一番に浮かぶのが凸版印刷。また、打ち合わせに来ることになったら、江戸に思いを馳せることになるかもしれない。

外堀通りと大久保通りのぶつかるスクランブル交差点。見慣れた場所が少し違って見えてきます。

神保町、水道橋、飯田橋。何かの目的があってその場所を訪れる時は、点と点。その点と点を線で繋いでみたら、川が流れていました。

雨の神田川を歩きながら、ふと頭に浮かんできた言葉、Conecting the dots.スティーブ・ジョブズ、スタンフォード大学での伝説のスピーチ。このことを教えてくれたのは、You Meネパールを作ったシャラド・ライ君でした。一時期、シャラドに英語を習っていたのですが、その最初の授業で。「Youtubeを見て、この講演をできるだけ暗記してください。喋り方もジョブズに近くなるように真似をする。英語が上手くなるには、いいスピーチの真似をする。これがとっても大事です」。講演をノートに書き出して、お風呂で必死に覚えたことを思い出します。

講演の最後にジョブズが言った言葉。「Stay hungry,Stay foolish.」点と点をつないで、川の流れを作り、街を作った徳川家康。竹で作った校舎からスタートして、今では2つの学校をネパールで運営するシャラド・ライ。インドを雄大に流れるガンジス川の源流は、シャラドの故郷ヒマラヤ山脈から流れている。

Stay hungry,Stay foolish.に点と点をつないで、歴史の流れを作ってきた人たち。これから作っていく人たち。

ちょっと辞書を買いに、ちょっと気になっていた器を見に。そんなお散歩でしたが。最後は、壮大な歴史に想いを馳せることになりました。

歩かないと気がつかなかった川の流れ。今、何げなく歩いている道には、誰かの大きな思いが宿っているのかもしれませんね。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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