西荻散歩。

掃除がしたい。洗濯をパリッと干したい。ゆっくりパンを焼きたい。

撮影が続くと、疲れ切って拭き掃除はできないし、ご飯はぱぱっと簡単にできるものを作るようになる。それが悪いわけでもないし、忙しく動き回っていられるのはありがたいこと。なのだけれど、心の余裕がショートサイズになるといつものことがシンプルにできなくなる。毎日同じ24時間のはずなのに。出勤前、10分もあれば拭き掃除だってできるのに。なんだか気持ちが急いていて、逆に無駄な動きをしているのかもしれない。グランデサイズに心を大きく構えるには、日常を少しずらす時間だ必要だ。

そんなタイミングで旅の相棒カメラマンのキヨちゃんと韓国語のレッスンをする日になった。代々木上原に来てもらって、自宅で授業をすることが多いのだけれど、今日はキヨちゃんのおうち近くの西荻窪へ。前にお土産にいただいたお茶がおいしかった、サウスアベニューさんというお茶屋さんに行きたいと言っていたことを覚えてくれて。他にも連れて行きたいお店がいっぱいあるのだと声をかけてもらって、西荻でレッスンをすることになった。

駅前のガードレールに腰掛けてNetflixを見ていたら、キヨちゃんから電話が鳴った。「マクドナルドの脇の細い道わかる?逆方向からそっちに向かってるから荻窪方面に歩いてきてー。」「うん、わかるよ。了解!」うんしょとガードレールから腰をあげて、高架下のマクドナルドのある方に向かうと目の前に行列が。あぁ、こけし屋さんだ。洋菓子とお惣菜。そして喫茶店を併設したこけし屋さん。実家の近くの大泉学園から西荻窪行きのバスが出ていて、小さい頃母と一緒にお惣菜を買いに来ていた。こけし屋さんというとチキンマカロニグラタンと頭の中で連結するくらい、ここのグラタンが大好きだった。建物の老朽化でまた出会えるのは3年後。喫茶はもう閉店しているはずだから、みんなお惣菜やお菓子を買いに来ているのかな。あぁ、グラタン食べたいな。少し後ろ髪をひかれながら、逆方向に向かって、キヨちゃんと落ち合う。

夜にチキンマカロニグラタンを作ろうかななんて思いながら、中央線の線路に沿って歩くとおかっぱにオーバーオールのキヨちゃんが見えた。

アンガールズのジャンガジャンガにダブルピースを加えたポーズ。ダブルピース久しぶりに見たわ。あははと笑いながら、こけし屋さんでノスタルジーに浸っていた時間がぐっと現実の西荻窪に戻ってくる。そこで止まっているということは、その道を右折?

「今日のレッスンあそこの喫茶店でやってもらおうと思ってんねん。」

後ろをついて歩いていくと左手にひらがなで「それいゆ」と書かれた看板が。soreil。ここのお店では、太陽の意味なのかひまわりの意味なのか。外国語脳になるとそんなことばっかり気になってしまう。店頭に置かれたメニューは黄色。うむ、ひまわりの意味なのかもしれない。「ここのチーズカレー、おいしいんだよ。」現在の時刻はちょうどお昼前。朝ごはんを食べ損ねて飛び出して来たこともあって、チーズカレーの響きにお腹がぐーと鳴った。

お店に入るとすぐ左側にケーキの入ったガラスのショーケース。こんもりと生クリームの乗った焼きりんご。ちょこんと二つささった緑のはっぱがかわいい。

席についてアイスコーヒーを頼む。あ、もう少しメニューを見てもいいですか。レッスンが終わったらご飯を食べにいくのだろうけれど、ハムサンドが気になって。あたし、サンドウィッチも追加していい?

空はグレーの曇り気味だけれど、気温は薄いコート一枚でOKなくらいあたたかい。注文の時に自然と「アイス」が出てくる季節になったことが嬉しい。

さぁ、レッスン始めますか。今日は第10課。固有語の数詞をやります。アルバイトは何時からですか?「아르바이트는 몇 시부터예요?(アルバイトゥヌン ミョッシブトイェヨ)」会話部分を何度か繰り返して読んでから、1つ、2つ、3つの数え方を復唱していく。えっ、助数詞がつくと言い方変わるの?1時は「하나시(ハナシ)」じゃなくて「한시(ハンシ)」になるの?シュー。キヨちゃんの頭から小さな湯気がたつのが見えます。大丈夫。最初はわたしもこんがらがった。一生懸命、ハナ、ドゥル、セッ、ネッって覚えてるのに、いきなり変わるっていわれてもねぇ。でもだんだん慣れてくるから、助数詞をつけて繰り返し言ってみよう。何度も何度も繰り返すうちに体に染み込んで、それが自然になるまで。指を折りながら、目の前で数字を繰り返すキヨちゃんにエールを送る。頭に、体に、口の筋肉に。数字が染み込んでいってるよー。

「샌드위치가 1개 나왔습니다.」サンドウィッチが1つ出ました。キッチンの奥から韓国語が聞こえてくるわけはないのに、ドラマの見過ぎでしょうか。幻聴が。ほらほら、ここにも数詞が入ってる。「1개」これはなんと読むでしょう。ひとつ。ハンゲ。これも助数詞の「個」が後ろにつくから하나(ハナ)じゃなくて、한(ハン)になります。粒マスタードがたっぷり塗られたハムサンド。トーストされたパンは厚めでハムもたっぷり。ひとつずつ食べよう。「ひとつずつ」こっちは「하나씩(ハナシック)」。これが一個ずつになると?「한개씩(ハンゲシック)」。頭がシューッとしてきちゃうよね。サンドウィッチをかじりながら、ちょっと休憩しよう。

レッスンをしながら、はたと気づく。大好きな韓国語をこうして反芻している間に、心も脳味噌もやわらかく癒されていく。語学に触れる時間は、わたしにとって心をグランデサイズにしてくれる大事な清涼剤だった。キヨちゃん、疲れている今日みたいな日がレッスンでよかったよ。고마워요(コマウォヨ)。

レッスンを終えて、しばしお散歩。道端にわさっと置かれた緑の上では、小さな花がたくさん開いている。

平和通り会の商店街を荻窪方面に5分ほど歩くと、本日お目当てのサウスアベニューさんに到着しました。中国茶の文字に心躍る。冬にキヨちゃんにいただいた「風に負けない茶」がおいしかったんです。バラとハイビスカスの入った赤い色のお茶。ちょっとすっぱくて、体がぽかぽか温まって、飲んでしばらくすると元気がわいてくる。そんなお茶でした。

手書きで丁寧に書かれたお茶の解説。文字を追いながら味を想像する。どれも魅力的だけれど、今日はジャスミン茶を買おうかな。

店内にはお茶だけでなく、茶器や中国の古い模様が彩られた紙なども売っているんです。店内をゆっくり歩きながら宝探し。小針というお茶と青い柄の入った茶器と緑の模様の入った紙を購入しました。

サウスアベニューさんに置かれているお茶の産地がわかるお手製の地図。鳳慶の紅茶、布朗山のプーアール茶。地図を見ながらその場所に思いを馳せる。コロナ前、現地のお茶農家さんのところに行って、その土地の美味しいものを食べながらお茶を仕入れていたオーナーさんと店主みかさんの旅日記も必見です。

くわしい味や産地について。お茶の説明はもちろんのこと、お茶の試飲も。みかさんが淹れてくださったジャスミンティー。あまくて安らぐいい香り。

お店に入ってすぐ左側にある、お茶を淹れるスペース。天秤ばかりやガラスの器など。どれも凛と美しいものばかり。見ているだけで心がすーっと穏やかになります。

ハスの花のような茶托も美しい。せっかく習っている中国語。お茶をめぐる旅をするという夢がひとつできました。そのために日々の勉強をがんばろう。

サウスアベニューさんに行かれるならば、時間に余裕のある日がおすすめです。お茶のマップや旅の記録をゆっくりご覧になって、その空気をまるごと家に持って帰っていただきたい。普通に飲んでもおいしいお茶が、さらにさらにおいしくなりますから。

おいしいお茶。しばしの妄想中国旅。心が満たされたサウスアベニューさんでのお買い物を終えて。引き続き、西荻をお散歩。散歩。もちろん中国語発の言葉だよねと思い、散歩を辞書で調べてみると。簡体字では「散步sànbù」。ぶらぶらする。英語だとwanderの意味。腹ごなしに歩くという意味が元だったそうです。散歩という概念。日本での最初の記録は室町時代。禅僧であった虎関師練が漢詩集「済北集」の中で最初に「散歩」という言葉を用いたそうで。この時は「坂や岡をあてどもなく歩く」という意味で使われていたそうですが、当時文化を牽引する存在だったお坊さんがはじめた散歩。散歩ってなに?今、キテルらしいよ。え、ただ界隈をブラブラすればいいの?そんな楽なことある?そんな会話が室町時代になされていたかどうかはクエスチョンですが、新しいトレンドが「散歩」ってなんだかとってもいい。室町時代が発生したのは1336年、終了したのが1573年。500年、600年前の人々の散歩と、現代の散歩がどこかでつながっている。

これといったミッションや目的があるというよりも、楽な気持ちでぶらぶらと町を歩いていたら、何か心惹かれるものに出会ってしまう。空が曇りぎみでも美しい桜。右斜め前から流れてくる仕込み中のカレー屋さんのおいしい匂い。

1時間でも30分でも。スマホをポケットにしまって、ただぶらぶら歩く。散歩は一番手軽に、日常を少しずらすことのできる方法だ。ちょっと疲れていたからこそ感じる散歩のありがたみもきっとある。今日は西荻でレッスンをと言ってくれたキヨちゃんに感謝。また次回は、違う町に出向いてレッスンと散歩のセットもいいね。

この土日はお花見日和になりそうですね。ぶらぶら散歩とセットでお花見。ゆっくり過ごす時間がありますように。みなさまどうぞ、よい週末をお過ごしくださいませ。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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