滋味。

イベントで使う荷物をまとめて肩から担ぎ、事務所の電気を消す。あぁ、釣り銭の重み。鞄の紐が肩に食い込む。階段をとんとんとくだりながら、体力の衰えをひしひしと感じる。そうだ、今日は朝から甘いものしか食べていない。明日はイベントなのに、内っかわからパワーが出ないのはまずい。こんな日は肉?いやいや、なんか違う。お腹は空いているし、力の出るものを食べなければとは思うけれど、もう少しいい選択肢があるはずだ。そう思いながら代々木上原の駅を一旦通り過ぎて、やっぱり駅に戻る。そうだソルロンタン!千代田線で11分。赤坂に向かうことにしました。

ソルロンタンには「滋味」という言葉がぴったりだなぁと思う。栄養豊富なおいしい食べ物。意味を解釈して文字にするとなんだか薄くなってしまうけれど、もっと体の奥の方からじわじわと力を呼び起こしてくれる、そんな味。

新入社員で就職した会社の事務所があった赤坂。夜中3時、事務所に残っている先輩たちと連れ立って行ったマッサージ。「いててててて」ふくらはぎに走る強めの刺激に何度も叫ぶ、二つ先のベッドの先輩の声を聞きながら、眠りに落ちたお店も近くにある。

もう明日と呼べなくなっている時間帯。数時間後にやってくる新たな1日を頑張れるごはんを食べたい。そんな日に自然と足の向くことの多かったソルロンタンの「一龍」。24時間、いつ行ってもおいしいごはんが食べられることもありがたかった。

赤坂という土地柄だから、24時間営業なのかな。当時は大して気に留めることもなかったのだけれど、そういえば明洞にあった「神仙ソルロンタン」も24時間営業だった。なつかしくなって検索してみると明洞店は閉店していた。『華麗なる遺産』というドラマの影響もあって海外の観光客で賑わっていたお店。明洞の街の真ん中にあったあの場所には今なんのお店ができているんだろう。

神仙ソルロンタンだけではなく、韓国にあるソルロンタンのお店は24時間営業が多いのだとか。その理由は牛骨や牛足を弱火でことこと10時間以上煮込まなければいけないから。火が消えてしまうと味が落ちるため、最初からスープをとり直さなければいけない。店を営業するにしてもしないにしても、結局はスープを見守り続けなければならない。だったら24時間営業でということになったらしい。

その恩恵を受けて、夜中にお腹が空いてくたくたでも、いつでもスープにありつくことができていたわけだ。

ソルロンタンという名前の起源を調べてみると、韓国語の表記もいくつか出てくる。一龍の看板にある表記は「설농탕」。韓国のミシュランガイドのページにあるのは「설렁탕」。朝鮮時代お王様が先農壇(ソンノンダン)というお祭りで豊作を願う祈りを捧げたあと、肉を骨付きのまま煮込んで食べたことから「先農湯」(ソンノンタン)という料理になったという説が有力らしい。個人的には一龍の看板にも書かれている「雪濃湯(설농탕)」ソルロンタンの表記がこのスープに一番似合っているなぁとおもう。雪のように白くて濃いスープだから雪濃湯。

一龍には同じ建物の5階に本店があって、1階に別館がある。昔からお世話になっているのはソルロンタンを含めてメニューが4つしかない別館の方。じっくり煮込んだソルロンタン、蒸し煮にした牛をスライスしたスユック。チャプチェ、チヂミが潔くメニューに並ぶ。

「ソルロンタンでいいですか?こちらへどうぞ」店に入るとオモニが奥の席に案内してくれる。ソルロンタンとマッコリも注文。数分で11個のパンチャン(おかず)がやってきて、ごはんが登場。この様子を眺めているだけでお腹の中からふつふつとパワーが湧いてくる。

「ソルロンタン、お待たせしました。」

このお店では待つということがない。ありがたく「いただきます」と手を合わせてスッカラのカバーをはずし、茶碗のふたをとる。

キムチはもちろんのこと、白菜、煮豆、煮干しを炒ったおかず、すべてがソルロンタンと同じやさしい味。一口ほおばると「はぁ」とため息が出る。チョッカラ(箸)で白菜をごはんの上に乗せて、スッカラ(スプーン)に持ちかえる。白菜の乗ったごはんをスッカラでたっぷりすくって、口へ運ぶ。ごはんの甘みと噛むたびに白菜から滲み出る旨味を一緒に味わう。

スッカラでごはんを口に運ぶ、韓国の映画やドラマを見ていておいしそうな瞬間の代表格。そういえば日本人は箸でごはんを食べるから、一度にそんなに大量のごはんを口に運ぶことはない。そうか。ごはんを食べる道具がスッカラだから、ごはんを口に入れる時から、ごはんのなくなったスッカラが口から出てくる瞬間までがおいしそうに見えるんだ。大量に口に入れたごはんをもぐもぐしている間も、おいしそうな時間は続く。

薄味のソルロンタン。テーブルにある塩とこしょうで好きな味に調えながら食べる。まずは調味料を何も入れずにひとくち。疲れているからか、そのままの味が体にしみる。今日はこのまま、塩分を足さなくてもいいかもしれない。青ネギと一緒に柔らかく煮えた頬肉をゆっくり噛む。力がぽたぽた内臓に落ちていく。やっぱりソルロンタンを食べに来てよかった。

もちろんキムチも抜群においしいのです。ごはんにのせて、スッカラですくって食べる。目を閉じて噛み締めてしまう味。キムチの味の余韻のまま、スープをふたくち。

ごはんにおかずを乗せて食べる、スープを飲む。ごはんにおかずを乗せて食べる、スープを飲む。時々、マッコリ。夢中で食べ進めていたら、あっという間にパンチャンのお皿が空っぽに。地味に見えるおかずのひとつひとつに、滋味がたっぷり詰まっている。

最後におおぶりのカクテキをボリボリかじりながら、カクテキの汁をソルロンタンへ。ピンクに染まっていくスープ。これもうまい。

お店に入ってから30分で、足の先から頭のてっぺんまで元気になる。滋味にあふれた食事。「ごちそうさまでした」ではなくて「ありがとうございました」と言いたくなる味。

今日もありがとうございました。

帰路を急ぐ人、誰かを待っている人。今週も1週間おつかれさまでした。

この土日も暑くなりそうですね。皆様、どうぞ良い週末をお過ごしください。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

HPはこちら