天国のベーコン

7月末。事務所近くのギャラリーをお借りして「旅と台所のマーケット」を開きました。たくさんの友人知人が遊びに来てくれる中。ミュージシャン・編集者・ライターと多彩な顔を持つ岡田カーヤさんにいただいたお土産が、しばらく頭の中を離れずにいました。

「神田の小川町にあるドース・イスピーガっていうポルトガル菓子のお店のパステル・デ・ナタ。最近は予約をしないとなかなか買えなくなっちゃってるから、数が少なくてごめんね。ひとつずつだけど食べてみて」ポルトガルに留学経験もあるカーヤさんおすすめのパステル・デ・ナタ。(日本ではエッグタルトの名前で1999年頃にブームになりました。1999年は、マカオがポルトガルから中国に返還された年。返還によって注目をされたマカオ。旅する日本人も増えた時期だったとか。マカオでエッグタルトを口にする機会が多かったことがブームのきっかけにもつながったのでしょうか。)材料は、卵・生クリーム・砂糖・小麦粉・バター。サクサクのパイにつつまれた卵のフィリングは、ホッとする甘さで、食べ終えてしまうのがなんとももったいない。いつもならがぶり、とふた口くらいでいってしまいそうなところ。倍の4回にわけて少しずつかじり、その味を堪能しました。

お菓子について調べ物をしている時。ふとあのパステル・デ・ナタの味を思い出して、お店に行ってみたいと思い立ちました。一路、神田小川町へ。山岳用品店の多い通りを抜けると、もうすぐお店に到着するはずです。

グーグルマップが示しているのは、この細い路地。トロフィーが並ぶショーケースの角を左に曲がると、ありました、ありました。

「DOCE ESPIGA」ポルトガル語の翻訳機にかけてみる。DOCE=甘い,ESPIGA=穂軸。お店の看板にはとうもろこしの穂軸が描かれています。そういえば、とうもろこしが日本に伝来したのも、ポルトガル人によってなんですよね。1579年、ポルトガル人によってもたらされたとうもろこしが九州地方から日本全国に広まった。そして、日本の洋菓子も。同じ頃、ポルトガルの宣教師によって伝わったお菓子から始まった。

日本でイメージするポルトガルのお菓子といえば、やっぱりカステラ。海外から来たものについては語源を知りたくなってしまう。カステラの語源は、「pão de Castella =カスティーリヤ王国のパン」という意味のポルトガル語。pão de Castella を日本人が「カステイラ」と略し、その名前が定着していったのだそうです。和菓子にも大きな影響を与えたという、16世紀日本に伝わったポルトガルのお菓子。そういえば、カステラって和菓子なんでしょうか。洋菓子なんでしょうか。答えは、和菓子でした。和菓子と洋菓子の分類は、明治時代以前・以降が基準になるのだそう。室町時代に入ってきたカステラは、和菓子に分類されるのだそうです。順番を待つ間、遠い長崎の地にやってきたポルトガルの人たちに、しばし想いを馳せる。

お店の外では女性のお客さんが一人、待っていました。店内では男性と女性がお菓子を選んでいて、楽しそうな声が聞こえてきます。カッターシャツにスラックスの男性が先に外に出てきて、嬉しそうにビニールの中をのぞいています。近くにお勤めの方なのかな。少しあとから出てきた女性と、お菓子の話をしながら靖国通りのほうに向かっていかれる背中越し。小さく聞こえる会話を聞いていたら、こちらの期待も高まってきました。

前の女性が注文をしている間は、少し後ろからゆっくりお菓子を見ることができるありがたい時間。他のお菓子屋さんではお目にかかることのない、珍しい名前がずらり。「リス川のそよ風」「栗入りエコノミコス」「トーレスノーヴァスのいちぢく」「セジンブラの焼き菓子」。名前からでは、どんなお菓子なのか想像がつかないものばかり。その中でも群を抜いて頭の中に「?」が並んだお菓子が「天国のベーコン」でした。

順番を待つ間、天国のベーコンばかり凝視してしまいます。どんな味なのか、目が解析してくれるわけではないのに見続けてしまう。なんとも、気になる。

少しすると、注文をする順番が回ってきました。初めましてのお菓子ばかり。「全部ください」と言いたいところですが、またお店に来る楽しみをとっておかないと。心を落ち着けて、欲望が暴走しないように注文をします。

「お待たせしてしまって申し訳ございませんでした。ご注文をどうぞ。」

「天国のベーコンと栗入りエコノミコス。チーズとアーモンドのケーキとリス川のそよ風をお願いします。あの、天国のベーコンて…」

注文をしたはいいけれど、中身が何かを知らない新参者。察してくださった店員の方が、すぐにケーキの説明をしてくれます。

「かぼちゃとアーモンドプードル、卵がたっぷり入ったお菓子です。冷蔵庫に入れていただければ〇〇まで日持ちしますよ。」

天国のベーコン、中身の説明に釘付けだった脳みそ。何日日持ちをするのか、その日数はさくっとスルー。もちろん一番気になっているお菓子だから、今日中にお腹におさまる予定。日数は、次回ちゃんと確認しよう。

今回はめずらしいものを中心にチョイスしてしまったので、次回はプリンを必ずや!

いそいそと家に戻り、ちょうどおやつ時間だったこどもと一緒にお菓子を選ぶ。息子が選んだのは栗入りエコノミコス。私はもちろん天国のベーコンをチョイス。

天国のベーコン。材料は、かぼちゃ・アーモンドプードル・卵と聞いてきた。のだけれど、つい想像してしまう味は、メープルシロップをかけたベーコンの味。パンケーキにカリカリのベーコンをのせて、バターとメープルシロップをかけて食べる時のあの感じ。それなら、おいしくないわけがない。ただ、お菓子なのにベーコン。いや、ネーミングだけだとはわかっていても、こんなにも強くひっぱられる食材なんですね、ベーコンて。見た目も濃厚なお菓子。少しビビリながら、遠慮がちにフォークを刺す。口元に運ぶとすぐにシナモンが香ってくる。続いてかぼちゃとアーモンドの香り。ねっとりと、とてもねっとりとした濃厚な味。少しずつ口に運んでいると、だんだんくせになってくる。もちろん材料にベーコンは入っていないのだから、ベーコンの味がするわけはないのだけれど。想像とまったく違う味にホッとしたり、でもやっぱり驚いたり。

「天国のベーコン」実際に食べたあともなんだか気になるお菓子。いろいろ調べていると、京都でポルトガル菓子店を営むドゥアルテ智子さん著の『ポルトガル菓子図鑑 お菓子の由来と作り方』(誠文堂新光刊)という本を見つけました。早速Kindleで購入して、ページをめくる。見たことのない味わったことのないようなお菓子。でもどこか懐かしい匂いのする焼き菓子のレシピが、全部で101個掲載されています。

ひとつひとつページをめくっていくと、210ページにレシピがありました。「Toucinho do Céu」トッシーニョ・ド・セウ。訳すと、「天国の塩蔵した豚の脂」という意味になるケーキ。天国のベーコン。ドゥアルテ智子さんによると、「トッシーニョ」という豚の脂がケーキ名前についているのは、修道院が起源のオリジナルのレシピに、ラード(豚の脂)を使用していたからという説があるのだとか。

「主にポルトガルでは食事を締めくくるデザートとして食される。贅沢な菓子なので、家庭で作ることはなく菓子屋で購入するが、事前に注文を受けてからでないと作らない。」(『ポルトガル菓子図鑑 お菓子の由来と作り方』誠文堂新光刊より)

レシピを見てみると、どえらい!と言いたくなる分量の卵が入っています。

材料:18cmの丸型1台分 アーモンドプードル〜500g(これも大量)、中力粉〜大さじ4、グラニュー糖〜500g(甘み!)、シナモン・クローブの粉末〜少量。そして卵はなんと…全卵11個!!!と卵黄5個!!!

いやはや、恐れ入りました。18世紀にアレンテージョ地方ポルタレグレの修道院で作られ始めたというこのお菓子。アーモンドプードルを大量に使用するお菓子ですが、もとはアーモンドを茹でて皮をひとつひとつ剥き、しっかりと乾かしてからトッシーニョ・ド・セウを作る直前にアーモンドを挽いてケーキを作っていたのだとか。贅沢な材料と手の込んだ準備でできあがるケーキ。

真っ白にアイシングでコーティングをすると、常温でも2週間は日持ちするケーキ。ねっとりと、生菓子を食べているような食感のケーキなのに。日持ちをさせる砂糖の力、偉大です。

「天国のベーコン」に、ベーコンは入っていませんでしたが。『ポルトガル菓子図鑑 お菓子の由来と作り方』をめくっていると、あっと驚くレシピが載っていました。プリンにベーコンが、入っちゃってます。

そのプリンの名前はプディン・ド・デ・プリシュコシュ。アバーデは司祭長・修道院長という意味で、このプリンの名前の訳は、プリシュコシュという村の司祭長のプリンになるそうです。

「19世紀に実在したマルエル・ジョッモーン・マシャード・レベドに由来する菓子。レベドは司祭長でもあったが、王族・貴族・政治家や芸術家をもてなせる程、料理の腕があった。」

レベドが考案したのがこのプリンで、あまたあるポルトガルのプリンの中でも一線を画すのは、トッシーニョと呼ばれる(はい、出ました。天国のベーコンのトッシーニョですね)ベーコンの脂か生ハムの脂が入っていること。ベーコンの脂の効果で黄身の旨味がどっしり増幅するのだそうです。

どんな味なんだろう。レシピもしっかり掲載されているので、いつか作ってみたいと思います。

むすこが食べた栗入りエコノミコスもちょこっとだけ分けてもらう。たっぷりな栗が入ったシンプルなクッキーでした。

宗教と食の関係。追いかけるのは、とても面白そうです。修道院が起源のポルトガルのお菓子。羊羹も中国の禅僧から日本に伝えられた。肉を使わずおいしいものを作る創意工夫が、現在スタンダードなお菓子になっている。

あ!「天国のベーコン」に気を取られて、パステル・デ・ナタの予約をするのをすっかり忘れていたことを思い出しました。これはまた、近いうちに足を運ばねばならなければ。

ポルトガルのお菓子を訪ねる旅も、いつか行くことが叶います様に。

台風の被害は、大丈夫でしたでしょうか。東京は台風一過、少し暑くなりそうですね。みなさまよい週末をお過ごしくださいませ。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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