おもしろくしたいんです。

「久しぶりに報告したいことがたくさんあります。」

ネパール人の友人、シャラド・ライが連絡をくれて、直接会えていなかったこの一年間の出来事をたっぷり話しにきてくれました。

「最初に花恵さんがネパールに来てからもう10年以上の時間が経ちましたよ。最初に来てくださったのが2014年ですから。」

シャラドはこういう数字を正確に覚えている。故郷コタンに作ったYouMeスクールにお邪魔した最初の年。当時、カトマンズからコタンへ行くには途中で大きな川を渡るための車が通れる橋がなく、荷物を担いで吊り橋を歩き、川向こうの宿で1泊しなければならなかった。「ここからwifiが切れます」というポイントがあって、通信という行為としばしサヨナラできた時代の旅は、それはとても良い時間だったのだということを思い出す。

目の前にあるヒマラヤの山々。シャラドのママが作ってくれたチキンソテー。数十分後にがくんと足が立たなくなる、味は甘いのに効果は甘くない、ママお手製のバナナのお酒。そして胸に手をあてて、はにかんだ笑顔でぺこりと頭を下げてくれるYouMeスクールの子どもたちに、目の前のヒマラヤ山脈に、全力で集中できていたのだ。

4年後、2018年に書くことの尽きない面々と再びネパールを訪れた時には、コタンでも常にiPhoneがチェックできるようになった。ネパールの西側の都市ビラトナガルにも学校ができて、YouMeスクールはふたつになった。

コロナがあり、なんだか忙しく(忙しいふりをしていただけなのかもしれないけれど)日々が過ぎて、2025年も一年の半分が過ぎようとしている。YouMeスクールからはたくさんの子どもたちが卒業し、一緒に折り紙をした子どもたちは大学生になったり、もう働きに出ていると聞いた。

ネパールに行くと私が頼りっきりになるシャラドの一番上の妹サテにも子どもができて、他の3人の妹たちもそれぞれみんな結婚をして、ネパール、オーストラリア、日本でそれぞれ活躍をしている。

都市ビラトナガルに学校を作ったのは、ヒマラヤの山奥コタンにある学校の経営を助けるためということは、以前シャラドに聞いていた。何年と期間を決めて、都会に住む優秀な先生たちにコタンの学校で住み込みで働いてもらうための費用。学校の運営費。建物の修繕費など。日本でシャラドの活動を応援してくださる様々な企業や個人の方々からの寄付や、シャラドが社会人として働いているお給料でまかなうには限界が来ていたそうだ。

このまま学校をふたつ運営していくのは難しい。どちらか一校は、諦めなければならない。そう判断し、都市ビラトナガルにある学校を閉じることを決め、スタッフ、子どもたち、保護者の方々にもこの年度が終わったら学校を閉じますと話をしたタイミングで、新たな縁がつながった。5・6年前、とある食事会でたった一回だけご一緒した野村総研におつとめの方から、facebookのメッセンジャーにお元気ですかとメッセージが届いたそうだ。何か協業できることはないか、話を聞かせてほしいと。

ネパールの資源はなんですか?という問いの答え。最初に出会った頃から、シャラドの答えは一貫していた。

「ネパールの資源は人です」

シャラド自身も通っていた、カトマンズにあるネパール政府とイギリス政府が作ったブタニールカンタ学校。卒業した先輩、後輩たちはアメリカやイギリスに留学する人たちが多く、その後留学先の国に留まり、エンジニアとして働いている人たちがたくさんいる。

海に面していない内陸の国でも、ITなら世界と戦える。ネパールに魅力的な仕事場を作れれば、世界中に根をおろした先輩、後輩たちもネパールに戻ってきてくれるかもしれない。同時にエンジニアをネパールで育てれば、世界中からシステム開発の仕事を受注することができる。

「僕はいまだにコーディングができないんですけれど」と笑いながら話すシャラドの行動力で、たくさんの人々が集まり、野村総研さんのサポートもあって、ネパールでIT関連の会社を立ち上げ、今では120名ほどのメンバーが共に仕事をしているそうだ。

「英語だけじゃなくて、日本語を流暢に話すことのできるエンジニアをこれから育てていかなければいけないんです」


日本の地方銀行や大阪にある会社とプロジェクトを組み、現在では毎年80人から100人のネパールのエンジニアを日本に呼び、日本のIT関連の会社で実際に働いてもらうという動きも始まっているのだそうだ。

「ビラトナガルの学校を閉じなければならないと話した時は、みんなとても悲しんでいたんです。子供たちはYouMeスクールが大好きだったので」

会社がスタートし、学校の赤字を会社がサポートできる仕組みを作ったことで、ビラトナガルの学校も閉鎖をしなくても済むことになったそうだ。

一番最初にシャラドに会った時「自分は地方から選ばれてカトマンズの学校に行き、政府が学校生活をサポートしてくれて、日本に留学をすることができた。そのおかげで僕の人生が変わったんです。今度は自分が恩返しをする番。学校を作って、30代で政治家になり、教育で国を変えたいと思います」そう話していた。

現在シャラドの考える未来の動きには、少しだけ変化があるようだ。「政治家になる時期を少し後ろにずらそうと思います。政治家になっても、今は国にお金がない。経済的な基盤がなければ、やはり国を変えることは難しいです。スタートしたITの会社を軌道に乗せて人を育て、世界と仕事ができるようにしていきたい。今はサービスが事業のメインでプロダクトがないので、その開発もしていかなければいけません。教育と産業の両面で、国に恩返しをしていけるようにしたいんです」

コタンの学校に日本語で書かれた「国に恩返し」というシャラドの信念は、やることは少しずつ変化しても、ずっとぶれずに心の中心にあるようです。

現在行っている仕事の話、新しいプロジェクトのこと。気がつけば3時間ほどの時間が経っていました。その間シャラドがなんども話していたのは「おもしろくしたいんです。もっとおもしろくできないかな」という言葉でした。

おもしろいにもいろんな形があると思うけれど、自分が続けていくために、みんながそれぞれの場所で続けていけるように、おもしろくしたいって口に出していくことは、きっと前に進む力を与えてくれるね。私もおもしろく仕事をして、来年は久しぶりにネパールにいけるようにがんばろう。

次回は、大塚にある「カスタマンダップ」というネパール族の料理が食べられるお店にご飯を食べに行こうという約束をして別れました。

2025年の残り半分。どんな風におもしろく過ごしていこう。

今週も一週間おつかれさまでした。みなさま、おもしろい週末をお過ごしください。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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