アヒルと鴨。

思い立ったら1泊だけでも。気になるものを食べに、ヒョイっと飛行機に乗って、お店に直行して。まだ寝るには惜しい夜には、その時期公開している映画で一番気になるもの見て。明日は何を食べようか、翌朝を楽しみにしながらホテルに帰って寝る。

毎食が愛おしい国に旅に出られなくなってから久しい。

半年経ったら、また旅に出られるかな。一年後も厳しいかもね。旅に出たいねという話をする時、自然と明確な時期を口にしなくなった。

私は3泊する。私は今回1泊で帰らなきゃ。現地集合、現地解散。日本からバラバラに出発して、バラバラに帰る。そういう旅が、気兼ねなくできる友達。カメラマンのキヨちゃんから「絶対に食べさせたい鴨焼きのお店がある」と長いこと聞いていました。

表参道のHBギャラリーで行われる福田利之さんの展示を見に行こうというメッセンジャーのやりとり。ずっと言っていた鴨のお店。展示の帰りにぜひ行こうと、予約を取ってくれました。

原画を見ないとわからないことがある、ということがわかった日。何層にも重ねられた絵具にコラージュされている花束。この絵が一枚完成するまでの時間。キャンバスの手触り、絵具の匂い。実際に絵に触れることはもちろんしないけれど、そういうものまで感じることができる体験。見に行けてとてもよかったです。

新大久保の駅を降りて、東新宿方面に向かって10分ほど歩く。活気を取り戻している街。歩道が広く感じる時期があったことが信じられないくらい、人で溢れている。チーズホットクを頬張るカップル、楽しそうに推しのアイドルの話をしながら化粧品を手に取っている女の子たち。ぶつからないように時折身体を斜めにしながらお店に急ぐ。

東新宿に近くなるほど人の数が減ってきて、前を向いて歩けるようになったなと思ったらすぐ「サムスンネ」に到着。時間は16:00。おいしいと評判のお店。2時間ゆっくり食事ができる時間帯を、キヨちゃんが選んでくれた。合鴨の塩焼き。どんな味なんだろう。

お店の名前の「サムスンネ」は、オーナーであるお母さんのお名前から。「サムスン」さんの家、店という意味。店の外にあるメニュー板を見ながら、わくわくが止まりません。久しぶりのお酒も飲める外食。楽しみすぎて、カメラを忘れたほど。(本日の写真はすべてiphoneにて)

「お母さん、少しお久しぶりです、衛藤です。」

「あぁ!いらっしゃい。」

時間が空いたら一人でランチにも来るというキヨちゃんが、お店のことを細かく解説してくれる。

「さっきメニューを持ってきてくれたのが息子さん。ここの鴨は、お父さんが農場を経営していてそこからやってくるんだって。まずは、合鴨の塩焼きから頼もう。食べ始めて、お腹の具合を見てから、一品料理を追加するのもいいし、鍋を追加しても。最初はビールにする?あ、花恵はマッコリがいいか。焼酎っていう手もあるけど。マッコリにするか。すいませーん、マッコリくださーい!」

すでにおいしさを知っているキヨちゃんの口から、つぎつぎと言葉が溢れ出す。それをニコニコ聴きながら、店内の壁に貼られた料理の写真を見渡す。백숙(ペクスク)もあるんだ。ちょうど「三食ご飯」のyoutubeで、チャ・スンウォンがペクスクを作っているのを見たばっかりだったんだよなぁ。参鶏湯は小さめの鶏にもち米や高麗人参などを詰めて煮こむ料理ですが、白熟(ペクスク)は、鶏に味付けをせず、お米を肉に詰めない状態で煮込んだもの。鶏の出汁が染み込んだとろっとろのもち米、絶対おいしいんだろうなぁ。鴨塩焼きで、お腹が何分目までいっぱいになるんだろうか。

「タレとおかずの位置はここ。動かさないでね。」

中心にある大根の酢漬け。焼いた鴨と合わさるとミラクルを引き起こすのです。

チャキチャキのお母さんの小言のような、この感じ。韓国でごはんを食べているみたいで嬉しくなる。ガスコンロと鴨を焼く鉄板がテーブルにセット完了。ちょうどいい距離で箸が伸ばせるように、おかずの位置も計算しつくされていたのでした。そういえばさっきお母さんは、ちょっとずつ小皿の位置を調整しながら、とても丁寧にキムチや大根を並べてくれていた。

鉄板が温まった頃にピカピカの合鴨が登場。「わ〜〜!」と自然に二人で手を叩く。真ん中に玉ねぎを置いて、その周りに花が咲くように一枚一枚鴨が並べられていく。1/3のスペースは皮。あぁ、この皮も絶対おいしいんだよね。

ピンク色のお肉も、焼くとパリパリになる皮も。全てお母さんが焼いてくれるので、手出しをしてはいけない。肉焼きのトングはお母さん専用。我らが触れてはいけないもの。

真ん中に油が落ちるように設計された、少し勾配のある鉄板。「どこかで買えないかな。韓国行けるようになったら、調理道具の市場で探したいね。」美しく並んだ鴨の上に雪のようにふわっとした塩を振るお母さんの手。

ジューの音が微かな音から大きな音に変わってくると、お母さんが一枚ずつ肉をひっくりかえしていく。口福がやってくるまで、あともう少し。

「そういえば、韓国で오리(オリ)料理って食べたことなかったね。」

オリってアヒルという意味のはずだけれど、ここもオリ料理って書いてあるんだよなぁ。アヒルと鴨の違いってなんだろう。疑問が浮かんで早速調べてみる。アヒルはカモ科のマガモを原種として家禽として改良されたもの。マガモは野生の鳥。さらに合鴨はアヒルとマガモを交配させてできた品種だということまでわかった。そういうことだったのねぇ。今日ここに合鴨の塩焼きを食べに来なければ、オリ?アヒル?合鴨?と不思議に思うこともなかった。学びのタイミングはいつやってくるかわからない。

さらにオリ料理を調べてみる。キヨちゃんとも一緒に旅をしたことのある光州の駅前には「オリタン」合鴨のスープ専門の店が並ぶ通りがあるらしい。セリのたっぷり乗ったオリタン。エゴマの粉がベースのスープ。セリがくたっとなったら食べ頃の合図。あぁ、旨そう!

そしてもうひとつ。江南の高速バスターミナルからバスで2時間。忠清北道の忠州が、オリ料理の本場なのだそう。忠州にある炭酸泉のアンソン温泉。その温泉水で炊いたオリのお焦げ水炊きが食べられるお店があるんだとか。ドラえもーん。一回だけ、どこでもドアを貸し出ししてもらえないでしょうか。

大根の酢漬けと同じ色のタレが入った小皿にお母さんがトングで肉を運んでくれる。待ちに待った口福の瞬間が目の前に訪れました。

「この大根にお肉をくるんで食べんねん。」

大根に香ばしく焼けたお肉を乗せて、くるっと。早く口の運びたいのに、箸が震えてびよんびよんと大根が2回ほど元の位置に戻る。3度目の正直で、口の中へ。じゅんわり。なんだこりゃー!

「どう?うまいやろ〜???」

親指を上に。頭をなんども大きく振って、全身で最高に旨い!ということをキヨちゃんに伝える。しゃべりたい、けれど、肉の弾力と大根から滲み出る旨味の洪水で言葉が出ない。

「ほら、ここが一番おいしい。皮も食べてね。」

大根の上に今度はカリッカリの皮をのせてぱくり。

「ううううううう!!!!!」

顔は確実に泣き顔。言葉にならない唸り声がもれる。

ゴクリと飲み込んでから口から飛び出た言葉は。

「今年食べたものの中で、一番おいしい」

大満足なキヨちゃんの顔を見ながら、心を落ち着けるためにマッコリをひとくち。なんだこれは。なんだこの食べ物は。

「すみません、お水をください。」

「温かいものにしましょうか?」

外の気温もだいぶ冷えてきたこの頃。丁寧な気遣いをしてくれる息子さん。テーブルを片付けて、あちこちから飛び交う注文を聞いて、おかあさんと予約の確認をして。息子さんのスーパーな働きぶりからも目が離せない。なんだか劇場みたい。味も、サービスも。このお店は、全てがエンターテイメントだ。

「まだもう少しお腹に入るよね」

合鴨のカムジャタンを注文してみる。エゴマの粉がたっぷりかかって登場したスープ。骨から出た出汁がすごい。合鴨のカムジャタンのクセがすごい。

カメラは忘れるは、iphoneはLIVEモードで撮影しているは、で変な躍動感。

「うまーっ!!!」

ここでカムジャタンを食べるのは初めてというキヨちゃんから感嘆の声がもれる。

「すごいね、すごいわ。すごいしか出てこない。」

「こちら、オモニからのサービスです。」

最後にドーンと登場したケランチム。ふわっふわのつやっつや。常連さんのキヨちゃんのおかげで、サービスをしていただいてしまいました。「お腹いっぱいになった?たくさん食べていきなさい。」ケランチムからオモニの声が聞こえる。

出汁のきいたケランチム。こちらも絶品でした。家で作ろうとおもうと、こんなふうにふんわりできないんですよね。どうしても固くなってしまう。ケランチムが食べたくなったら、またここに来よう。

思い立ったら旅ができていた頃は、こういうびっくりが日常にたくさんあった。想像を超えたおいしさと、まだ食べてことのないものとの出会い。舌、手、耳、頭、心。ずっと先まで身体の記憶に残るお母さんたちとのやりとりと。

行ってみなくちゃわからない、食べてみなくちゃわからない。こういう時間に出会いたくて、旅をしていたんだ。

また旅ができるようになったら、いの一番に光州か忠州でオリ料理だね、キヨちゃん。

2022年も目前。忙しい年末に体調を崩さぬよう、あたたかくお過ごしください。では、では皆様よい週末を!

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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