野暮も野望も全部。

こんにちわー。ムトーです。

ゴールデン・ウィーク真っ只中。カレンダー通りの生活のひとは今日が前半の3連休最終日、一気に休めるひとはまだまだ前半ですね。

僕は前回も書いたのですが、このゴールデン・ウィークを挟んだ1ヶ月強が一番仕事が忙しい時期でして、ずっと仕事をしております。

世の中がゴールデン・ウィークを楽しんでいる間に必死になってこの試練を乗り越えたあとに「俺のゴールデン・ウィーク」が待っているので、頑張れるのです。

「寸暇を惜しむ」という言葉がありますが、本来、それです。まったく余裕がない。ちょっとでも仕事をしていたい。

プロ野球

でも、先週は義理の両親の古希のお祝いで福岡に行ってまいりました。どこかいいところで食事会、というのではなくて、義理両親の子ども家族と一緒に野球観戦がその古希のお祝いになりました。ふたりともプロ野球が好きなので、野球を観て一泊するのがいい、という希望に応えたかたちです。

全員住んでいるのが九州だし、一番近いし、義父がソフトバンクホークスのファンということでPayPayドームへ。オリックスバッファローズとの試合。

僕は小学校から中学まで野球をやっていたんですけど、野球に全く興味がなくて。自発的に球場に行ったことがない。僕の父と兄がプロ野球が好きで何度か付いて行ったくらい。

最後にプロ野球観戦をしたのは高校2年の春だったかな。PayPayドーム(当時「福岡ドーム」)が出来て柿落としイベントで「パリーグ・トーナメント」みたいなのがあってそれを観たんです。日ハムのウインタースがホームラン打ったな、確か。(ちなみに果物の「柿」と、こけら落としの「柿」は違う文字だということを知っていますか。信じられないけど違うんです。僕が本文で書いた「柿落とし」の「柿」が「かき」だと気づいた人には500ムトーポイント贈呈。)

それ以来の福岡ドームで、それ以来のプロ野球。20年ぶりとか?

もう当時の記憶もほとんどないので、較べようがないのだけれど、今のプロ野球ってもう、ずっと会場が賑やかなんですね。試合が始まるまでもセレモニーやってるし、始まったら毎打席選手の紹介が大きなモニターで派手に流れて。イニングが変わるごとに小さなイベントがあって「間」を作らないようになっている。

そして何よりも、ビール売りの人たちが想像していた以上にたくさんいて、ずっと動き回っている。日本の大手メーカーのビール樽を担いだ人が大半なのだけれど、ほんの一握り、ハイネケンの樽があって。そのハイネケンのビール売り子さんが近くに来るのをずっと覗っていました(試合見ろ)。

球場で昼間からビール飲むのが美味しくて、嬉しいし。続けて3杯飲んだんですね。試合が14時から始まるけれど、開場が12時だったのでそこから席に座って。3杯飲んだけれどもまだ試合が始まらない。もう、ビールもお腹に入らない。お弁当も食べた。

ハイネケン

やっと14時になってプレイボールのアナウンスが流れたときには満腹でもうやることがない(試合を見ろ)。

その試合が、延長12回の裏まで続いて結局引き分け。終了時刻18時45分。

12時に入場して、試合時間4時間45分。ほぼ7時間も球場にいたことに。もう、予定も狂ってせっかくの家族団欒の食事も適当に空いているお店で慌ただしく済ませたけれど、義理の両親は嬉しそうでとてもよかったのです。

義理親子孝行できたな。息抜きにもなったし。

野球の翌日太宰府天満宮に立ち寄る。仮本殿。かっこいい。

野暮も野望も全部

さて、本題。

先日友人が「地域を盛り上げるために、みんなで妄想を語り合う会議をしたい!」と熱く語っていたので、「それ、いいね。それ、僕、やってたよ。絶対にやるべき。」と伝えました。

僕が仲間たちとやっていたのが「野暮も野望も全部」という若者たちの会議。

世の中には地域活性化のプロみたいな人がいたり、そういう事業をやっている会社もたくさんあって、きっとプロなりのノウハウがあるのだろうけれど、きっと苦労しているのではないでしょうか。地域の課題に即効性のある特効薬みたいなものはないし、そもそも地域の「体のつくり」や風土が違うので、どこかで効いた薬が別の場所で効くとは限らないのではないかな、と思っております。

外からの人じゃないと見えないことがある、という意見はごもっとも。それも大いにある。

でも、そのプロたちは仕事だからな。契約が終わったときにどこまで関わってくれるのか。

僕の地元は元々、大分県の中でもあまり話題になることが少ないところで無名に近い地域でした。

観光の仕事とかに関わっていたこともあって、常に地元がなんとか盛り上がらないかな、と考えていました。でも、僕自身は自分のアイデアを形にすることができないし、ひとりでどうこうできることでもないし、と悶々としていたんです。「ムトー君はアイデアが豊富」と言われて久しいけれど、それはアイデアではなくて「思いつき」「妄想」であって、生み出していないのです。

40歳手前で「わー、おれ何にもやれてない」感に襲われて、なんだか焦ってもいました。

そんな時、隣の町が急に元気になっていて。若い人たちがどんどん集まってきていて、移住する人も増えている。

僕は隣の町を勝手にライバル視していたんですが、はっきりと勢いに差ができたんです。その時。

元気の理由は、東京からUターンした人がまちなかの建物をリノベーションして開いたイタリアンのお店。

そのお店に地元の若者が集い、夜な夜な話をしている。市外、県外からもわざわざそこを目指してやってくる。

そこで意気投合した人たちが新しいお店やイベントを始める。

明らかに当時、そのお店が隣の街のまちづくりの中心にいたんです。行政じゃないんです。

そこに集まったひとたちが、勝手に繋がって勝手にやりたいことを話してわくわくしている。そのわくわくしている空気というのは、恐ろしいくらいにこちらにも伝わってきて、「街が上向く勢い」というのが目に見えていたんです。

ノウハウじゃない、と先述しましたが、ノウハウではなくて「機運」が最重要だとそこで感じたのです。

行政主導だと、予算はあっても年限や規制が大きかったりして「やりたいひと」の気持ちが成就できないことがあるし。そもそもそれを本当に「やりたいひと」がいるのかもあやしい。

隣町はあの頃「おもしろそう!やろうぜ!」みたいな前向きというか上向きの言葉や空気に溢れていて。

「やりたいひと」がやりたいことをやっていた。

それがね、悔しいくらい羨ましくて。ほんとうに羨ましかった。

でも僕にはそんなお店を作る能力もないし。勇気もない。でもとにかく悔しい。

お店出したり、独立したり、何か始めているひとたちは勇気振り絞って一歩踏み出している人たちなのだから、もうその時点で僕は勝てない。けれど、まあちょっとでも何かできたらな、と考える。

ずっと考えていて、あの隣町のイタリアンみたいな店は無理、でもあの店みたいな場所と時間は作れるかもしれない。

みんながやりたいことを自由に邪魔されずに好きなだけ話せる場所、時間。

まあ、のんびりの僕なので「よし、やろう」と思ってからが長い。始めない。

そんなある日、仕事をしていたら友人から食事に誘われる。

指定されたお好み焼き屋さんに行ってみると友人ともうひとりいる。彼はその年に、東京のweb系企業から、僕の地元の山の中にある、市所有の宿泊施設の運営のためにやって来たばかり。そんな彼に、僕は酒も飲んでいないけれど、

「僕、こういう、みんなが妄想でもなんでもいいから話し合う会議みたいのをやりたいんですよねえ。」

と漏らしたんです。

「いいですねえ。」みたいに返って来ると思っていたんですけど、違ったんです。

彼は

「いつやります?」

とスマホのカレンダーアプリを起動して僕に訊いてきたんです。

「いつ!??え、すぐやんの???」って心の中ではとても動揺していたんですけど、冷静を装って「じゃあ、、」と日にちを決めたんです。

やる人ってこれくらいすぐ動くのか、とかなり衝撃を受けたんです。

会議の名前は「若者会議 野暮も野望も全部」。「全部」の「部」が部活名みたいでしょ(しょもな)。

若い人たちに芽生えた妄想だとか野望を、だれも否定したり笑ったりすることなく話せる場所と時間です。

若者に限定したのは、今や僕もそうだけれど大人は自分の経験で「あー、それはよくない」「それ無理」とか頭ごなしに言いがちだから。大人はそんな若い人のところに顔出して意見するよりも、自分で既にやってることを背中で見せてくれればいいから。

市内のお店や施設を借りて、軽食を食べながら、わいわいと話したい。

いろんな施設やお店が快く協力してくれて。

第1回は参加者10人から始まって、最後の第6回は40人定員が定員オーバーの45人。途中から市外の人も参加してくれるようになって。

毎回、テーマを決める。僕の仕事はそれ。

「うちの地元にほしい手土産」とか「たのしいことのつくりかた」とか、それぞれのテーマに沿った講師を招いてまず、30分基調講演をしてもらう。

その後は、講師にも混ざってもらって、懇談会。

みんな、講師も参加者もご飯を食べながら。

僕が野暮も野望も全部を開く上で大切にしたルールはこれ。

①参加費をもらう。

②参加者ひとり1回は必ず発言してもらう。

③最初に提示したスケジュール(時間)をきっちり守る。

この3つ。

①参加費は 会場代、講師の謝金、食事代を支払うために、運営側としてとても重要。毎回1500円とか2500円とかの参加費は若い人たちにとってそんなに安くない。映画観れるし、好きな食事もできる。それでも、その金額を支払って来てくれるのは、参加者にとっても僕にとっても覚悟がいることで、だからこそ、みんな集中して無駄な時間にしないように、貪るように楽しんでくれる。

②お金を払ってもらっていることもあるけれど、この「野望をはなす」と看板を掲げた場所にわざわざ来てくれるということは「なにか言いたいこと」や「聞いてほしいこと」がある人だと思うので、絶対に何か話してほしい。口下手な人が心に秘めた想いを聞いてみたいし。

③意外と重要なことで。盛り上がったからと言ってだらだらといつまでもやっていると、用事で帰りたいけど帰れない雰囲気なったり、「長い」という印象がこの会についてしまう。集中して講師の話に耳を傾けてほしいし、終わりが見えると濃い時間をみんなで作れる。

この3つだけのルールを作って、僕はひとつの答えに誘導したりしない(できない)。方向性も決めない。

この時間が終わって、帰りの時間になっても、会場の外のあちこちでそれぞれ参加者が楽しそうに話をしている。わくわくして話をしている。

いつか、僕が悔しいくらいに憧れた、隣町のイタリアンにあった若いひとたちの表情がそこにはありました。

第6回は別の町での開催。ゲスト講師は山口フォト

みんな、次回の開催を楽しみにしてくれていたし、開催すると自主的に会場づくりなどを手伝ってくれるようになって。そこで横のつながりができて、それぞれ、知り合いや友だち、同志が見つけられたことがこの会の価値だったと思います。なんのプロでもない僕にできたのはここまで。その先は僕にはできないので。

僕は最初から40歳でこのイベントを辞めると決めていたので(おじさんが意見しないため)、もう5年くらいやっていないのですが。

いま、僕の地元、すごいです。

大分県で一番勢いがある、と断言できる。

7年前、あのお好み焼き屋さんで「いつやります?」と言って背中を押してくれた彼は、今やアウトドア・サウナをこの地域に広め、様々なメディアに取り上げられるようにし、地元を「サウナのまち」として全国区にしてくれている。彼と一緒にアウトドア・サウナを盛り上げている仲間たちのお店や宿泊施設も一年中お客さんで賑わっている。街の名前が売れることで、それまでもずっとあったお店や施設もまた盛り上がる。

「俺のやった野暮も野望も全部すげーだろ」と言いたいのではないんです(あ、誰も言わないから少し言いたいか)。

今の盛り上がりの中心人物たちに「え、野暮?全然それ関係ないっす。」と言われそうな気もするけど。。

野暮も野望も全部がなくても彼らは勝手に繋がって今のように活躍していたと思うけれど。

あの時、隣町に渦巻いていた「やろうぜ!」という空気。

あれを作りだすのは「いつやりますか?」と背中を押す人。

そして「いまでしょ!」と戸惑ってでも乗っちゃう人。だと思うんです。振り返ると。

その時、講師を引き受けてくれたり、会場を快く貸してくれた大人たちはずっと憧れの先輩のまま。

熱を発する若者と、その熱を邪魔せずに熱いまま仰いでくれる大人たちがいる地域ってきっと、。

友よ、いつやる?

あ、今回、なんか熱く書いちゃった。てへ。

あ、、仕事、、、、、、、、、、、、、、。

妄想旅行社ムトーツアーズ 代表 ムトー

ムトーツアーズ

(隔週月曜日更新)
大分県に住んでいます。大分に遊びや仕事に来た人を案内することにヨロコビを覚える男です。