夏の思い出2−2

こんにちわー。ムトーです。

もう8月も後半。今年、あと3ヶ月半てこと??

前回、次男との大阪旅を書きましたが、その続きです。

初日は姫路城を見て、大阪に移動して万博に行ったんです。

今回の旅は大阪っぽいことをひととおり経験しよう、というテーマを設けました。

まず万博からホテルに帰る途中にあったお店でたこ焼きをテイクアウトして、部屋で食べました。

2日目は、朝からなんばグランド花月。

運良くすごく豪華なラインナップ。

みなさん面白かったけれど、この日、一番おもしろくて一番会場を沸かせたのは村上ショージさんでした。すごい。

そのあと大阪城。僕自身は大阪城4回目くらい。でも全く覚えてない。毎回新鮮。お城好きの次男にとっては天守閣よりも石垣だったり櫓が萌えるポイントらしく、なかなか前に進まない。集めている日本百名城のスタンプもゲットできて彼は満足。暑すぎて城の敷地内にあるコンビニでクーリッシュを二人で吸いましたね。

お昼はお好み焼き。

夕方は道頓堀でグリコを見る。

長男にお土産を買わないといけないのでアメ村へ。服が好きな長男に、どこでも買えそうなTシャツを「アメ村で買った」と言うためだけに。

次男が暑さと昨日からの疲れで早めにホテルに帰りたいと言うので、ホテルに戻って休憩。夜はホテルの近くのハンバーグ屋さんに入って済ませる。

3日目、最終日。

通天閣に行って。

大阪の秋葉原「でんでんタウン」で次男がゲームを物色。

昼食は串カツ。

よし。これで。

  • 万博
  • たこ焼き
  • 吉本
  • 大阪城
  • お好み焼き
  • 道頓堀(グリコ)
  • 通天閣
  • 串カツ

僕のイメージする大阪ぽいことはコンプリート。よしよし。

次男ももう、満足して、疲れ果て。家に帰りたくなったみたいなので、早めに空港に向かいました。

40年前の夏

大阪伊丹空港。

次男の初めての飛行機は伊丹空港から大分空港行きのJALの便。

僕の初めての飛行機も伊丹空港から大分空港行きのJALの便。

40年前。僕が小学2年生の夏休み。

その頃、父親が数ヶ月、東京に単身赴任をしていて。夏休みを利用して母と兄と3人で会いに行ったんです。

往路は、今はもう無くなった寝台列車「ブルートレイン」で大分駅から上野駅へ。

上野駅のホームで東京に住む叔母(父の妹)が出迎えてくれて、上野動物園へ。その後、仕事終わりの父と西郷さんの銅像の下で合流。

東京の父の下宿先に多分3泊したんじゃないかな。

初日にサンシャイン60の展望台に行ったのを覚えてて。

多分、2日目に今の茨城県つくば市で開催された「つくば万博(科学万博ーつくば’85)」に行ったんです。とにかく人の多さに驚いたのを覚えています。

3日目はディズニーランド。ディズニーランドから夜、東京に戻る電車の中で母が知り合いに遭って驚いたのが印象に残ってる。

4日目に東京から大阪に新幹線で移動。父も夏休みで大分に一時帰省するので一緒に。叔父(父の弟)の家に泊めてもらったんです。その夜、当時の大阪球場で西武ライオンズ対南海ホークスのナイターの試合を叔父夫婦と観戦。

翌日、大阪伊丹空港から飛行機で大分へ。空港の椅子に座って飛行機の時間を待っていたら、僕らのとなりの列の椅子に大柄な人たちが並んで座って。横を見るとジャイアント馬場さんが居てびっくり。僕の人生で初めて見た有名人。

初めて乗った飛行機で乗る時にCAさんからもらった飴の包装とか味とかも覚えている。

我が家は両親が厳しくて、ゲームだったりお菓子だったり、いろいろと与えてくれなかったんです。別に僕の生活に不自由はなかったし、共働きだったので貧しい思いもしていなかったんですけど。両親の当時の年齢を考えると多分30代中頃だったはずなので、余裕があったとも思えないんです。

それでも子ども二人を連れて東京に行き、万博やディズニーランドにも行かせてくれて。新幹線で大阪行って、そこから飛行機で大分に。

こんな経験をさせてくれたことが、自分自身が親になった今、本当にすごいことだとわかった。

あの時の感謝を両親に伝えるのは小っ恥ずかしいので、今回子どもを旅行に連れて行く前日に母にLINEした。

「シュンタを連れて万博に行って、伊丹空港から飛行機に乗るよ。40年前の僕みたいに。」

と伝えた。

あっという間に1年は過ぎて。40年もあっという間に過ぎた。

僕の子どもたちもいつか、僕と行った旅行を思い出してくれるかなあ。

妄想旅行社ムトーツアーズ 代表 ムトー

ムトーツアーズ

(隔週月曜日更新)
大分県に住んでいます。大分に遊びや仕事に来た人を案内することにヨロコビを覚える男です。