こんな書き出しだからといって葛藤しない。すぐできる、悩まないためにしておくこと。

かつて若者だった僕たちのバイブル的な雑誌「ホットドッグ・プレス」をご存知でしょうか。

唐突にそんなことを尋ねたのは、作家・北方謙三さんを思い出したから。「どこにいても決断を下すのは自分なのだ」と改めて感じたからです(前々回前回までが割とまじめな内容で好評だったから、怖くなって妙なことを書いているわけではありません)。

グーグル先生が見つけてくれたホットドッグ・プレス。雑誌が元気な時代でした。

この雑誌の名物企画はみなさんご存知のとおり、北方さんによる連載でした。読者からの相談に北方さんが答えるという人生相談。これが伝説の連載として、今も語り継がれています。

高校生から大学生、20代前半をターゲットにしていたであろう誌面構成は、男性ファッションだけでなく、サブカル、性に関する話題も取り上げるなど幅広いものでした。

そんなわけで北方さんへの質問にも性にまつわる悩みが寄せられていました。「はじめての彼女と同衾してゴソゴソするにあたって、どうしたらスマートに事を運べますか」という趣旨の質問に、北方さんが伝説的な回答をしました。

「ソープに行け!」

イアン・ソープではなく、ピンクな方です。身も蓋もないアドバイスです。この言葉が豪快な作家像をつくりがちですが、実は北方さんの回答というのは、肝心なところは自分で決めようという優しく見守るスタイルでした。

ざっくばらんに回答しているようで、個人の意思決定を尊重してくれる。それが北方さんでした。そう、結局は自分で決めなくてはいけません。正しいのか、間違っているのかは別にして、自分の判断を下すというのは大切なことです。

最近行った山での1枚。水がきれいです。

山を歩いていても、判断を迫られることが多々あります。
左に行こうか、右に行こうか。
進むべきか、引き返すべきか。

こういう時に、めんどくさがって地図を見ないで進むと、たいていの場合は間違えます。それが僕という人間です。先日もひさしぶりのトレイルランニングの大会で、コースの目印が見当たらなくて、こっちで合っているのだろうか、と疑心暗鬼になりました。

戻って確認するのか、あるいは、分からないまま、もったいないから進み続けるのか。分かれ道です。

引き返した方が間違っていた場合はダメージは少ないのですが、正しいルートだった時は戻った分だけ損をします。一長一短あるわけで、どちらが正しいのかとも言いづらい状況です。

こちらはきれいなお姉さん。そして、バナナの木が巨大ですが、これ日本です。

そんな時にできることは、どっちに行く方があとでクヨクヨしなくて済むのかを考えること。そして、すぐに決断を下します。自分で決めたのだから、当たっていたらラッキー、外れてもまあ決断したのだからイライラしても仕方ないとなります。

これが、ほかの選手に言われて引き返しただとか、なんとなく戻ってみただと、なんだか複雑な気持ちになります。もやもやした気持ちを抱え、くよくよと過ぎたことに囚われながら進むのは、精神的に疲れます。そして、ややもすると悪い方に事態が転がり、道に迷ったり、ほかのトラブルを呼ぶことに。

そんなわけで、自分で決めて納得するというプロセスは、僕にとって結果よりも大切です。

ルートが正しかろうが、間違っていようが、納得して進んだり戻ったりする分には、悩みはゼロ。いずれにしても楽しい道のりです。

とても長い距離を進んでいくうちに、自然と身についた考え方ですが、日常生活とも相性がいい気がします。何をするにしても、迷った時はどちらの方が自分にとって後悔が少ないかを考え、答えを出すようにしています。なんとなくや、誰かのせいにはせずに、です。

ライフハック的なことを書こうと思いながら、北方さんの名言を思い出して盛り込むべきかも、そうやって決めました。だから、今回はなぜソープの話をしているのだろうかなどという悩みは、僕の中には存在しないのです。たぶん。

いつだって、進んだ道が最善の道なのです。たぶん。

またね。

わかおかの山日記

(隔週水曜日更新)
山を走ったり、歩いたりするのが好きです。よく忘れ物をします。そんな日々を記すライターでランナーです。

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