藪に溺れてみた@尾道

旅先に来たからといって、人間なんてやることはそう変わりません。むしろ、非日常に身を置くことで、かえって日常が恋しくなる、なんてこともしばしばです。せっかくの海外旅行なのに、日本食の店に入ってしまうのも同じような心理なのでしょうか。

そんな例に漏れず、僕も普段通りの行動をとってしまいました。先日、尾道に足を伸ばした時のことです。友人との新年会的な集いに参加した後、せっかく来たので、市内をうろつくことに。リモートワークなので、こういう時に融通を利かせやすいのは便利です。

尾道ラーメンと尾道焼きを食べ、千光寺公園に行ったら観光は満足。街中をぶらつくのが億劫になり、自然と郊外へ。西のはずれに鳴滝山という手頃な山を見つけて、知らない山を開拓です。気がつくと、普段と変わらぬ過ごし方をしかけていました。人間とは恒常性の生き物なのです。

砂ずり、いか天の入った尾道焼き。おいしゅうございました。

地図アプリを頼りに、登山道をうろうろ。このルートは意外と荒れてるなあなどと思いつつ走ってみたり、その先にしっかり踏まれている登山道を見つけて嬉しくなってみたり。地図にはない分岐を見つけて、進んでみることも。

山頂部はもっさり。

いったん山頂まで登って別のルートで下りて、また別の登山口から山頂を目指すことに。登りはじめて1kmもしないうちに、シダが登山道にせり出してきました。わりとキレイだったはずの小道が気づけば、シダの群生地に早変わり。

登山道というのは、人の往来がないとすぐに自然に還ってしまいます。こういうところを通っていると、きちんと整備されている道は、それだけ人の手と足が入っているんだなあと、感心、感謝の念が湧くようになりました。

一見するとシダに覆われ、自然に飲まれたかのようでも、まだ大丈夫。足元は見えませんが、足裏で道が残っているのは確認できます。人が通っている地面は固く締まっているから、踏んだ感覚でわかります。ルートからそれると、ふかふかの腐葉土が待っています。

まだまだキレイで進みやすい藪。

しばらく登れば、すっきりした登山道に戻るだろうと高をくくっていたら、シダの藪は濃くなる一方でした。「藪をつついて蛇を出す」ということわざがあるように、藪というのは、得体の知れない印象があり、危険が潜んでいるやもしれません。とはいえ、冬場なんだから蛇が出ることはないでしょう。進むの一択です。

背丈を超えて茂り、トゲのある植物とコンビを組んでいたり、低木が隠れていたりして行く手を阻まれます。藪を腕でかき分ける様子から、藪を漕ぐ、泳ぐなどと言いますが、もはや漕ぐことも泳ぐことも至難の技。完全に飲まれてしまい、藪に溺れていました。

そんな状況で悪戦苦闘しながら体を動かし、もがいていると、あぁ生きてるなあという不思議な実感がこみ上げてきます。

調子に乗って遊んでいると、日が傾きつつありました。軽装で入っていたこともあり、夜間に突入するのはマズいです。このまま行くか、引き返すのか判断を迫られます。

ずっと藪。

山頂を通った方が帰路に就きやすく、距離は短いのですが、藪がどこまで続いているのかは不明。引き返すと、ぐるりと回り込んで車を停めた駐車場に向かわねばなりません。ひどく苦労して登った分、来た道を戻るというのは、心理的に引っかかるものです。物理的にもトゲに引っかかるのもイヤなものです。

そうなると、進みたくなるのが心情というものですが、藪を想定した十分な装備がなく、進んだ先の状態がわからないこともあり、あっさりと撤退です。

山頂を目指すことを目的としているわけではなく、知らない山に入って知るというプロセスにこそ意味がありました。それに、遠回りでしんどい道のりを帰るとしても、そもそも山を登り下りしている時点でしんどいわけですから、ちょっとばかり苦労が増えたところで大勢に影響なしでしょう。

ふたたび藪に溺れながらも、無事に下山。久しく藪に浸る機会がなかったので、図らずもどっぷりとハマることができました。旅先で日常を求めたつもりが、山はやっぱり非日常です。

今回もおつかれ山でしたー!

わかおかの山日記

(隔週水曜日更新)
山を走ったり、歩いたりするのが好きです。よく忘れ物をします。そんな日々を記すライターでランナーです。

HPはこちら